「パンケーキ食べたい」のフレーズで知られる芸人の正体は、夢屋まさる(ゆめやまさる)。独特のリズムと動き、ジェンダーレスな雰囲気のファッションで2019年の正月に大きな注目を集めたピン芸人だ。
本名は鈴木優。1998年4月2日生まれ、東京都出身で、2026年11月現在は28歳。慶應義塾大学経済学部を卒業した高学歴芸人としても知られている。芸人として活動していた当時はサンミュージックプロダクションに所属していた。
芸能界に入る以前から芸能活動に関心があり、高校時代の16歳でプロの芸人として活動を開始。幼少期には子役として電力会社などのCMにも出演していた。お笑いだけでなく、モデル活動や執筆にも取り組んだ経歴を持つ。
慶應義塾大学在学中には、お笑いサークル「O-keis」にも所属。2019年に慶應塾生新聞のインタビューを受けた際には、芸人活動と大学の授業を両立する学生生活について語っている。仕事と試験が重なることもあり、学業と芸能活動の双方に時間を割いていた。
夢屋まさるの基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 芸名 | 夢屋まさる |
| 本名 | 鈴木優 |
| 生年月日 | 1998年4月2日 |
| 出身地 | 東京都 |
| 2026年11月の年齢 | 28歳 |
| 最終学歴 | 慶應義塾大学経済学部卒業 |
| 芸人デビュー | 16歳・2016年 |
| 元所属事務所 | サンミュージックプロダクション |
| 代表的なネタ | パンケーキ食べたい |
| 芸人引退日 | 2022年3月31日 |
| 引退後の進路 | テレビ朝日入社 |
特に注目したいのは、芸人としての活動を大学卒業まで続けた点だ。学歴を単なるプロフィール上の肩書きにせず、学生時代から企画や表現に関わっていた経験が、後のテレビ番組制作にもつながっている。
【誕生秘話】パンケーキ食べたいネタはどうやって生まれた?

夢屋まさるの代名詞となった「パンケーキ食べたい」は、偶然のひらめきと、それまでの芸風を変えようとする試行錯誤から生まれたネタだった。
2019年のオリコンニュースのインタビューによると、ネタを思いついたのは2018年10月ごろ。「おもしろ荘」のオーディションに向けて、喫茶店でネタを考えていたときのことだった。
コーヒー1杯で長時間過ごしていた店内で目に入ったのが、「期間限定のパンケーキ」というポスター。きゃりーぱみゅぱみゅの楽曲を聴きながら、お腹が空いたことも重なり、「パンケーキ食べたい」という言葉とリズムが生まれたという。
当初はダンスを取り入れる予定ではなかったものの、振り付けがあったほうが伝わりやすいと考え、簡単な動きを加えた。誰でもまねしやすいシンプルさが、結果としてネタの強みになった。
もともとはブラックなコントを好んでいた
意外なのは、夢屋がもともと明るくポップな芸風を目指していたわけではないことだ。
2019年の日刊スポーツのインタビューでは、以前は政治や宗教などを題材にした、テレビで披露するには難しい尖ったネタを好んでいたと振り返っている。しかし、その方向性ではテレビ出演の機会をなかなか得られなかった。
そこで、従来の芸風とは異なる明るいネタを作ろうと方向転換した。パンケーキという親しみやすい題材、繰り返されるフレーズ、簡単な振り付けを組み合わせたことが、幅広い視聴者に届くきっかけになった。
また、本人は当時のインタビューで、このネタが自分を救ってくれた大切な作品である一方、作った直後は披露することに抵抗もあったと明かしている。人気が出たネタと本人が本来やりたかった表現との間には、少なからずギャップがあった。
2019年のおもしろ荘で一気にブレイク
大きな転機になったのが、2019年1月1日放送の日本テレビ系『ぐるぐるナインティナイン』の「おもしろ荘」だった。
番組内で披露したネタがSNSを中心に話題となり、「パンケーキ」がTwitterのトレンド入り。LINE NEWSでも大きく取り上げられた。本人も2022年の引退発表時に公開したnoteで、2019年1月1日を境に人生が大きく変わったと振り返っている。
その後はテレビ出演だけでなく、商業施設のPRイベント、企業CM、映画の広報大使、地方営業、出版など仕事の幅が急速に広がった。2019年11月には初エッセー『パンケーキ食べたいの人です。本当はもなか食べたい。』も発売されている。
一発のネタがテレビ出演や出版など複数の仕事に結び付いた点は、当時のブレイクの大きさを物語っている。
【経歴・年表】夢屋まさるの芸人時代からテレビ朝日プロデューサーへの転身
夢屋まさるのキャリアを理解するうえで重要なのは、芸人引退とテレビ局への就職が別々の出来事ではないことだ。
本人はブレイク直後から将来を考え、2019年のうちに芸人引退を決断していた。その後、慶應義塾大学を卒業し、テレビ朝日へ入社。社内で企画を提案し続け、番組制作の現場を経験したうえでプロデューサーへと進んでいる。
夢屋まさるのキャリア年表
この年表で押さえておきたいのは、2022年の引退後、すぐにプロデューサーになったわけではないという点だ。配信関連や番組イベントなどの業務を経験し、社内企画への応募、番組の企画・構成、制作現場でのAD業務という段階を踏んでいる。
慶應塾生新聞、本人のnote、ENCOUNT、テレビ朝日での仕事を取材したMANTANWEBの記事を照らし合わせると、芸人からテレビマンへの転身は、複数年にわたるキャリア形成だったことが分かる。
【芸人引退理由】ブレイク中だったのになぜ辞めた?本人が語った決断の背景
夢屋まさるの引退について、当時多くの人が驚いたのは、人気がなくなってから辞めたのではなく、ブレイク中に自ら将来を決めていたことだ。
2022年2月のENCOUNTのインタビューで、夢屋は引退を決めたのは2019年10月だったと明かした。
その年、自分が生み出したキャラクターが大きな注目を浴び、話題の人として評価される機会も得た。本人は、キャラクターとしての到達点に達したという達成感を抱く一方、人気を維持し、さらに上を目指す難しさも感じていたという。
つまり、引退は突然の失速や事務所とのトラブルによるものではなく、本人が芸人としての将来を考えた末の判断だった。
本人が語った3つの決断理由
1.人気を維持する難しさを感じていた
夢屋は、ブレイクした状態を維持することも、さらに上のステージに進むことも簡単ではないと考えていた。2019年の段階で、自身のキャラクターがどこまで成長できるのかを冷静に見ていた。
2.芸人としての区切りをつけたかった
慶應義塾大学の卒業という節目も重なっていた。大学生活と芸人活動を並行してきた彼にとって、卒業は次の進路を選ぶ自然なタイミングだった。
2022年の慶應塾生新聞のインタビューでは、同じネタを何十年も続ける可能性についても触れ、これまでの経験を別の仕事に活かすことを選んだと説明している。
3.芸能界やエンタメの世界に関わり続けたかった
引退後に芸能やテレビと無関係の仕事を選んだわけではない。本人は、好きな人たちや好きな世界を別の職業から応援したいという考えを示していた。
芸人として表現する側から、エンターテインメントを支える側に移るという選択だった。
「この経験を他のことに活かしたほうが自分のためにも、世のためにもなるんじゃないか」
出典:2022年3月公開・慶應塾生新聞のラストインタビュー
2022年3月31日にサンミュージックを退所
2022年1月29日、夢屋は自身のnoteで芸人引退を正式に発表した。発表内容は、同年3月31日をもってサンミュージックを退所し、芸人を引退するというものだった。
加えて、3月27日には最初で最後の単独ライブを開催。芸人として長く目標にしてきた大きな劇場での単独公演を実現し、最後の舞台に臨んだ。
引退当日には、本人がファンへの感謝と寂しさを発信している。芸人という肩書きを手放したものの、お笑いの世界そのものを嫌いになって離れたわけではなかった。
【2022年から2025年】テレビ朝日入社後の仕事とプロデューサー抜てき
夢屋まさるの引退後の仕事が明らかになったのは、2022年6月だった。日刊スポーツは、夢屋が同年4月からテレビ朝日に入社していたと報道。テレビ朝日も入社を認めており、芸人からテレビ局社員への転身が明らかになった。
入社当初は研修中で、まだ正式な配属は決まっていなかった。その後のMANTANWEBの本人インタビューによって、入社後の具体的な仕事とプロデューサーになるまでの道のりが詳しく紹介された。
入社当初は配信やイベントなどの仕事を担当
2025年11月のMANTANWEBのインタビューによると、入社時の配属先はビジネスプロデュース局だった。
最初に担当したのは、動画配信に関する業務や番組イベントなど、放送以外の収益を扱う仕事。本人が希望していたバラエティー番組の制作とは異なる部署だったが、その間も番組企画への挑戦を続けていた。
当時のテレビ朝日には、社員が企画を提出し、コンペを通過した企画が放送される「そだてれび」という枠があった。夢屋は通常業務をこなしながら企画書を出し続け、入社1年目に企画が採用された。
2023年は真空ジェシカの冠番組を担当
2023年4月には、テレビ朝日の深夜バラエティー枠「バラバラ大作戦」で放送された「ジェシカ美術部」の企画・構成を担当した。
番組はお笑いコンビの
その後も企画書を提出し続け、念願だったバラエティー制作部への異動につながっていく。
2024年にはADとして制作現場を経験
2025年の取材では、夢屋は入社3年目に当たる2024年からバラエティー制作部に異動したと説明している。
ADとして携わった番組は、以下の2つだ。
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現場では、テレビ朝日のディレクター・舟橋政宏氏の演出を間近で学んだという。一方、映像編集や色味の調整などの技術的な作業では、自分の適性に悩むこともあった。
本人は、優秀なディレクターたちと仕事をするなかで、自分が同じ道を進むことに自信を失ったと振り返っている。
2025年11月、27歳で番組プロデューサーに
大きな転機となったのが、2025年11月15日付のMANTANWEBの記事だ。
同記事では、夢屋がテレビ朝日のプロデューサーとして、月替わりの深夜バラエティー枠「バラバラマンスリー」で『カズレーザー100%』を手がけていると紹介された。
同番組は、カズレーザーが自分のやってみたいことを、気心の知れた仲間たちと楽しむバラエティー。夢屋にとってプロデューサーとして初めて手がけた番組であり、入社後に最初に提出した企画書も、この番組に関するものだったという。
芸人時代の先輩であるカズレーザーの発想力に魅力を感じ、それをテレビ番組として形にしたいという思いから企画した。
番組には、ママタルトの大鶴肥満やグラビアアイドルが参加する企画、知名度の高くない面白い芸人を推薦する「ヴィンテージ面白芸人」など、独特な発想の企画が並んだ。
芸人時代に培った芸人とのつながりと、テレビ局社員として積み重ねた企画・制作経験が結び付いた仕事だった。
【プロデューサーとしての現在】夢屋まさるとカズレーザーの関係、芸人経験が生きる理由
夢屋まさるの転身で興味深いのは、芸人時代の人脈や経験が、テレビ局での仕事に直接生かされていることだ。
特にカズレーザーとの関係は、番組企画の背景を理解するうえで欠かせない。
カズレーザーは芸人時代からの先輩
カズレーザーは、夢屋が所属していたサンミュージックの先輩芸人に当たる。夢屋は芸人を辞める際にも、最初に相談した相手がカズレーザーだったとMANTANWEBの取材で明かしている。
引退後も食事に連れて行ってもらうなど交流が続いており、単なる番組出演者とプロデューサーという関係ではない。
夢屋が注目していたのは、クイズ番組やコメンテーターとしての知名度だけではなく、カズレーザー独特のアイデアを生み出す力だった。
芸人として同じ事務所に所属していた経験があるからこそ、本人の魅力や得意分野を理解した企画を考えられた面もある。
夢屋まさるがプロデューサーに向いていた理由
本人のインタビューから見えてくるのは、必ずしもディレクターとしての技術力を追求することだけが、番組制作のキャリアではないという点だ。
夢屋は、映像編集などの技術的な作業については苦手意識を持っていた一方、細かな調整や人との関係づくりには自信があったと説明している。
そこで、自身の得意分野を生かせるプロデューサーという役割を目指した。上司に希望を伝えたところ、挑戦する機会を得られたという。
プロデューサーは、出演者のキャスティング、企画の方向性、制作スタッフとの調整など、番組全体を統括する役割を担う。芸人時代に培った感覚や人脈を生かせる仕事でもある。
2026年現在、どこまで分かっている?
2026年11月時点で、具体的な担当番組やプロデューサーとしての仕事を詳しく伝えている主要な報道は、2025年11月のMANTANWEBのインタビューだ。
同記事では27歳のプロデューサーとして紹介され、『カズレーザー100%』の企画意図や制作背景、本人の今後の目標まで取り上げられている。
一方、2026年の新たな役職変更や担当番組について、同程度に具体的な本人取材・公式発表は確認できない。そのため、2025年に報じられたプロデューサーとしての活動を、2026年の最新の具体的な職務情報として押さえておくのが適切だ。
少なくとも、芸人を引退した後にテレビ業界から離れたわけではなく、番組を制作する立場で活動していることは、本人への取材によって明らかになっている。
芸名「夢屋まさる」を現在も残している理由
もう一つ興味深いのが、芸人引退後も「夢屋まさる」という名前をSNSなどで残していることだ。
2025年のインタビューでは、以前は番組のPRのために名前を残していると説明していたものの、現在は考え方が変わったと語っている。
「自分の武器の一つとして残しています」
出典:2025年11月15日 MANTANWEBのインタビュー
芸人時代の名前は、単なる過去の肩書きではない。番組の宣伝やスタッフとの会話でも話題のきっかけになるという。
夢屋まさるという名前で世間に知られた経験を、現在の仕事にも活用している。芸人を引退したからといって、過去のキャリアを切り離す必要はないという考え方がうかがえる。
【プロの結論】夢屋まさるの転身から分かる、芸人とテレビ制作の新しい関係
夢屋まさるのキャリアは、単純な「芸人から会社員への転職」ではない。
16歳で芸人として活動を始め、19歳で「おもしろ荘」をきっかけに全国的な知名度を獲得。その後、大学卒業を機に芸人を引退し、テレビ朝日で企画・構成、AD、プロデューサーという経験を重ねてきた。
この経歴から読み取れる要点は3つある。
1.知名度を得た後も、自分の適性を見極めている
夢屋は「パンケーキ食べたい」という大ヒットネタを持ちながら、人気を維持する難しさを冷静に捉えていた。知名度だけに依存せず、自分が今後どのような仕事で価値を生み出せるかを考えたことが転身につながった。
2.芸人経験は制作側でも強みになる
芸人として舞台に立った経験は、出演者の心理や企画の面白さを理解するうえで役立つ。特に、無名の芸人を発掘する企画などは、自分自身が「おもしろ荘」をきっかけにブレイクした経験とも重なる。
夢屋自身も、賞レースだけでは注目されにくい芸人を、テレビがもう一度後押しできるような番組を作りたいという考えを示している。
3.キャリアは一つの肩書きで終わらない
芸人時代の経験を捨てるのではなく、番組制作に転用している点も重要だ。出演者から制作側へ移ることで、エンターテインメントとの関わり方そのものを変えた。
夢屋まさるの事例は、芸能界で培った経験が、テレビ局の社員としての仕事にも生かせることを示している。
「パンケーキ食べたい」の芸人として記憶している視聴者にとって、現在の姿は意外かもしれない。しかし、その後のキャリアをたどると、芸人時代からの経験と人脈が、番組プロデューサーという仕事に自然につながっていることが分かる。
【FAQ】パンケーキ食べたい芸人・夢屋まさるの現在に関するよくある質問
Q1:パンケーキ食べたいの芸人は誰ですか?
A1:夢屋まさるです。2019年1月1日放送の日本テレビ系「おもしろ荘」で「パンケーキ食べたい」のリズムネタを披露し、ブレイクしました。
Q2:夢屋まさるの本名は何ですか?
A2:本名は鈴木優です。1998年4月2日生まれで、東京都出身です。
Q3:夢屋まさるはなぜ芸人を引退したのですか?
A3:2019年10月に引退を決断していました。人気の維持やさらなる成長の難しさを感じ、芸人としての経験を別の仕事に生かしたいと考えたためです。
Q4:夢屋まさるはテレビ朝日に入社したのですか?
A4:はい。2022年4月に新卒でテレビ朝日に入社しました。入社当初はビジネスプロデュース局に配属され、その後バラエティー制作部へ異動しています。
Q5:夢屋まさるは現在プロデューサーなのですか?
A5:2025年11月のMANTANWEBの報道では、テレビ朝日のプロデューサーとして紹介されています。『カズレーザー100%』を担当していました。
Q6:夢屋まさるは慶應義塾大学出身ですか?
A6:はい。慶應義塾大学経済学部を卒業しています。2021年9月に卒業し、2022年春から社会人として新しいキャリアをスタートさせました。
Q7:夢屋まさるとカズレーザーはどのような関係ですか?
A7:芸人時代の事務所の先輩・後輩です。夢屋は引退時にもカズレーザーへ相談しており、2025年にはカズレーザーが出演する『カズレーザー100%』のプロデューサーを務めました。
まとめ:夢屋まさるは芸人からテレビ朝日の番組プロデューサーへ
「パンケーキ食べたい」の芸人として知られる夢屋まさるは、2022年3月31日に芸人を引退し、同年4月からテレビ朝日の社員として新たなキャリアを歩み始めた。
その後、社内で企画を提出し続け、2023年には「ジェシカ美術部」の企画・構成を担当。2024年にはバラエティー制作部でADを経験し、2025年11月には27歳で番組プロデューサーとして『カズレーザー100%』を手がけていることが報じられた。
引退の理由は、単なる人気低迷ではない。ブレイク中から自分の将来を考え、芸人としての経験を別の形で生かす道を選んだ結果だった。
かつて「パンケーキ食べたい」と視聴者を笑わせた人物は、今度は番組を作る側として芸人の面白さを届けようとしている。夢屋まさるの転身は、芸能界での経験がテレビ制作の現場でも新たな価値を生み出すことを示すキャリアの一例だ。
今後も注目したいのは、かつて自分を発掘してくれた「おもしろ荘」のように、次の若手芸人が世に出るきっかけとなる番組を生み出せるかどうか。その挑戦こそ、芸人・夢屋まさるの経験を持つテレビプロデューサーならではの見どころといえる。