1979年の日本ダービーを制し、1981年には天皇賞(春)も勝利したカツラノハイセイコ。父は昭和競馬を代表する人気馬ハイセイコーであり、父が届かなかった日本ダービーの栄冠を息子が手にしたという競馬史に残るエピソードでも知られている。生涯成績は23戦8勝、重賞4勝。引退後は1982年から1998年まで種牡馬として活躍し、代表産駒ユウミロクをはじめ、地方競馬でも複数の重賞勝ち馬を送り出した。2026年現在、JBISサーチなどの公開記録から確認できる競走成績、血統、産駒、種牡馬実績を整理すると、その競走能力だけでなく、後世に残した血統的な功績も浮かび上がる。
カツラノハイセイコは2009年10月8日に33歳で老衰のため死亡しており、現在は生存していない。日本ダービーでの父子の物語、天皇賞(春)での激戦、そしてユウミロクを通じて続いた血統の影響まで、2026年の最新公開データをもとに振り返る。
【基本プロフィール】カツラノハイセイコとは?父ハイセイコーを超えた名馬の正体

カツラノハイセイコは、1976年5月13日に北海道浦河で生まれた黒鹿毛の牡馬である。
父ハイセイコー、母コウイチスタアという血統を持ち、馬主は桂土地株式会社、生産者は鮫川三千男氏、管理調教師は庄野穂積氏だった。
父ハイセイコーは、地方競馬から中央競馬へ進出して大きな人気を集めた歴史的な競走馬。その知名度と実績を背景に、カツラノハイセイコにも父の名を受け継ぐ存在として注目が集まった。
しかし、カツラノハイセイコの評価は単なる二世馬という枠に収まらない。
1979年の日本ダービーを勝ち、さらに古馬になってから1981年の天皇賞(春)を制覇。異なる世代、異なる距離の大舞台で結果を残した。
基本プロフィール一覧
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 馬名 | カツラノハイセイコ |
| 生年月日 | 1976年5月13日 |
| 性別 | 牡馬 |
| 毛色 | 黒鹿毛 |
| 父 | ハイセイコー |
| 母 | コウイチスタア |
| 母の父 | ジヤヴリン |
| 生産地 | 北海道浦河 |
| 生産者 | 鮫川三千男 |
| 馬主 | 桂土地株式会社 |
| 調教師 | 庄野穂積 |
| 通算成績 | 23戦8勝 |
| 主な勝ち鞍 | 1979年日本ダービー、1981年天皇賞(春) |
| 死亡日 | 2009年10月8日 |
JBISサーチの競走馬プロフィールでは、1979年度の最優秀3歳牡馬として記録されている。
ここで注意したいのが、当時と現在の馬齢表記の違いだ。
1979年当時の競馬成績表では、カツラノハイセイコは4歳と表記されている。これは2001年に馬齢の数え方が変更される以前の制度によるものだ。現在の満年齢に換算すると3歳に当たり、JBISの年度表彰記録にある「最優秀3歳牡馬」とも整合する。
【戦績を徹底検証】生涯23戦8勝の内訳と主な勝ち鞍
カツラノハイセイコの競走成績を数字で見ると、単純な勝利数以上に安定感が際立つ。
JBISサーチに掲載されている国内通算成績は23戦8勝、2着7回、3着3回、着外5回。出走したレースのうち18回で3着以内に入っている。
勝率は約34.8%、複勝圏内率は約78.3%。大舞台での実績だけでなく、長期間にわたって高い競争力を維持していたことが分かる。
年度別の競走成績
| 年度 | 出走数 | 1着 | 2着 | 3着 | 着外 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1978年 | 6 | 1 | 2 | 1 | 2 |
| 1979年 | 8 | 4 | 2 | 1 | 1 |
| 1980年 | 5 | 1 | 2 | 1 | 1 |
| 1981年 | 4 | 2 | 1 | 0 | 1 |
| 合計 | 23 | 8 | 7 | 3 | 5 |
特に注目したいのは、1979年の成績だ。
この年は8戦4勝で、日本ダービーを含む複数のレースで上位に入った。皐月賞では2着、NHK杯では3着と、クラシック路線でも安定した力を示している。
1980年には目黒記念(秋)を勝利。有馬記念でもホウヨウボーイに次ぐ2着となった。
そして1981年には、マイラーズカップと天皇賞(春)を制覇。春の大一番である3200メートルの長距離戦だけでなく、1600メートルのマイル戦でも勝利している。
主な勝ち鞍と上位入着
| 年月日 | レース | 距離 | 着順 |
|---|---|---|---|
| 1979年5月27日 | 日本ダービー | 2400m | 1着 |
| 1980年11月2日 | 目黒記念(秋) | 2500m | 1着 |
| 1981年3月8日 | マイラーズカップ | 1600m | 1着 |
| 1981年4月29日 | 天皇賞(春) | 3200m | 1着 |
| 1979年4月15日 | 皐月賞 | 2000m | 2着 |
| 1980年12月21日 | 有馬記念 | 2500m | 2着 |
| 1981年6月7日 | 宝塚記念 | 2200m | 2着 |
| 1980年10月12日 | 京都大賞典 | 2400m | 3着 |
総収得賞金は3億1,216万200円。現役時代に獲得した実績を振り返ると、クラシックの一発屋ではなく、古馬になっても第一線で戦い続けた競走馬だったことが理解できる。
【1979年日本ダービー】父ハイセイコーが届かなかった栄冠を獲得
カツラノハイセイコの名前を競馬史に刻んだ最大の出来事が、1979年5月27日に東京競馬場で行われた第46回日本ダービーである。
芝2400メートルの舞台に出走したカツラノハイセイコは、単勝1番人気に支持された。
騎乗したのは松本善登騎手。管理調教師は庄野穂積氏だった。
JRAの公式競走成績によると、勝ちタイムは2分27秒3。2着のリンドプルバンも同タイムで、着差はハナ差だった。
人気薄のリンドプルバンが最後まで迫る接戦を制し、カツラノハイセイコが第46代のダービー馬となった。
父ハイセイコーとの因縁
この勝利には、もう一つ重要な背景があった。
父ハイセイコーも1973年に日本ダービーへ挑戦している。しかし、そのときはタケホープに敗れて3着だった。
皐月賞を勝ち、当時の競馬ファンから大きな支持を受けていたハイセイコーにとって、日本ダービーは最後まで手が届かなかったタイトルだった。
その6年後、息子のカツラノハイセイコが同じ舞台で勝利を収める。
つまり、父が果たせなかったダービー制覇を、次の世代が実現したのである。
この父子の関係は、単なる血統上のつながりではない。ハイセイコーという競走馬が築いた人気と実績を受け継ぎながら、息子自身が独立した競走馬として大きなタイトルを獲得したという点に価値がある。
主要エンティティと関係性の整理
カツラノハイセイコを取り巻く競走馬、関係者、競走実績を整理すると、以下のようになる。
このように、日本ダービーの勝利は父ハイセイコーとの関係を抜きに語れない、カツラノハイセイコの代表的な転換点だった。
【1981年天皇賞(春)】3200メートルを制した実力とカツアールとの激戦
日本ダービーの勝利から約2年後、カツラノハイセイコは古馬として再び大きなタイトルを獲得する。
1981年4月29日、京都競馬場で開催された第83回天皇賞(春)だ。
舞台は芝3200メートル。長距離適性と持久力が問われる伝統の一戦だった。
JRAの公式競走成績によると、カツラノハイセイコは2番人気で出走。騎手は河内洋、斤量は58キログラムだった。
レース結果は以下のとおり。
- 1着:カツラノハイセイコ(3分20秒6)
- 2着:カツアール(3分20秒7)
- 3着:メジロファントム(3分21秒5)
カツアールとの着差はクビ。わずかな差で勝利をつかんだ。
マイルから長距離まで対応した競走能力
この天皇賞の価値を考えるうえで見逃せないのが、同じ1981年のマイラーズカップである。
カツラノハイセイコは3月8日に阪神競馬場の芝1600メートルで開催されたマイラーズカップを勝利している。
そして約2か月後には、京都の芝3200メートルで天皇賞(春)を制覇した。
距離の違いは実に1600メートル。マイル戦と長距離戦という性格の異なるレースで結果を残したことは、同馬の競走実績を評価するうえで要点となる。
ただし、すべての距離で圧倒的だったわけではない。1981年の宝塚記念ではカツアールの2着に敗れている。
勝利と敗北の両方を含めて見ることで、当時の強豪馬たちと互角に競い合っていた姿が見えてくる。
【血統を徹底分析】父ハイセイコーと母コウイチスタアの血統背景
カツラノハイセイコの血統を理解するには、父系だけでなく母系にも注目する必要がある。
JBISサーチに登録されている基本的な血統構成は次のとおりだ。
父ハイセイコーの存在
父ハイセイコーは1970年生まれの鹿毛馬で、父チヤイナロツク、母ハイユウという血統を持つ。
競走馬としては地方競馬から中央競馬へ進出し、皐月賞や宝塚記念などを制覇。日本ダービーでは3着、菊花賞では2着だった。
種牡馬としても活躍し、カツラノハイセイコ以外に、次のような産駒を送り出している。
- ハクタイセイ:1990年皐月賞優勝
- サンドピアリス:1989年エリザベス女王杯優勝
- ライフタテヤマ:1986年ウインターS優勝
- ヤマニンアーデン:1987年シンザン記念優勝
- マルカセイコウ:1987年京阪杯優勝
父ハイセイコーは、競走馬としてだけでなく、種牡馬としても複数の重賞勝ち馬を送り出した存在だった。
母コウイチスタアと母系の特徴
母は1968年生まれのコウイチスタア。
その父はアイルランド産のジヤヴリンで、母はミタケである。
したがって、カツラノハイセイコの血統は次のように整理できる。
- 父:ハイセイコー
- 父方の祖父:チヤイナロツク
- 父方の祖母:ハイユウ
- 母:コウイチスタア
- 母方の祖父:ジヤヴリン
- 母方の祖母:ミタケ
父ハイセイコーの知名度が先行しやすいものの、母コウイチスタアの存在も血統を構成する重要な要素だ。
また、カツラノハイセイコの競走実績を見ると、芝1600メートルのマイラーズカップから芝3200メートルの天皇賞(春)まで勝ち鞍が広がっている。
血統表だけから適性を断定するのではなく、実際の競走成績と合わせて評価することが重要だ。
【種牡馬成績・産駒一覧】代表産駒ユウミロクと後世に残した血統
現役引退後のカツラノハイセイコは、種牡馬として新たな役割を担った。
ラジオNIKKEIが2009年の死亡時に伝えたJBBA関係者の説明によると、種牡馬としての供用期間は1982年から1998年までの17年間。JBBA七戸種馬場や下総種馬場などで供用され、特に青森県をはじめとする東北地方の馬づくりに貢献したと評価されている。
カツラノハイセイコの種牡馬成績
種牡馬としての代表的な実績を考えるうえでは、産駒の重賞実績とサイアーランキングの両方を見る必要がある。
競走馬のふるさと案内所に掲載された記録では、サイアーランキングの最高位は1991年の56位。
1985年から1992年にかけて順位を上げる時期もあり、1991年には最も高い順位を記録した。その後はランキングが下がっている。
全国的なリーディングサイアーとして君臨したタイプではないが、中央競馬と地方競馬の双方に重賞実績を持つ産駒を送り出したことは評価できる。
特に地方競馬では、南関東や東北地方などで活躍した馬も存在する。
主な産駒一覧
JBISサーチの「主な産駒」欄に掲載されている馬を整理すると、次のようになる。
| 産駒名 | 生年 | 主な実績 |
|---|---|---|
| ユウミロク | 1983 | 1987年カブトヤマ記念GIII優勝 |
| マルトラック | 1986 | ウインターS GIII2着 |
| サンアカネ | 1985 | 北九州記念GIII3着 |
| カネユタカオー | 1988 | 宇都宮・とちぎ大賞典優勝 |
| テツノセンゴクオー | 1992 | 大井・金盃優勝 |
| ニホンベレーザ | 1987 | 船橋・ダイオライト記念優勝 |
| デンタルスター | 1988 | 浦和・しらさぎ賞優勝 |
| ハルナオーギ | 1983 | 川崎・関東オークス優勝 |
| オルテプリンセス | 1986 | 上山・北日本オークス優勝 |
| サンセイビユーテイ | 1984 | 盛岡・不来方賞3着 |
| ヨイチオー | 1991 | 東京・赤富士S優勝 |
| フジカツラ | 1986 | 清里特別優勝 |
| マスコットマーチ | 1983 | ダービースタリオンズS優勝 |
| ブロンズターフ | 1985 | 寺泊特別優勝 |
| アストリートワン | 1987 | 両津湾特別優勝 |
| アルゴーフォア | 1987 | 桑名特別優勝 |
| カツラソロン | 1988 | 足利・ゴールデンC優勝 |
| アカツキレベッカ | 1985 | 筑前特別2着 |
| ドウム | 1988 | 3歳抽せん馬特別2着 |
| マルズイホウ | 1988 | かきつばた賞3着 |
| ヤナギダイスケ | 1990 | 宇都宮・しもつけさつき賞3着 |
この一覧はJBISサーチの主な産駒欄に掲載される馬を整理したものだ。全登録産駒の完全な一覧とは区別する必要がある。
代表産駒ユウミロクはどんな馬だったのか
カツラノハイセイコの産駒を語るうえで、最も重要なのがユウミロクである。
1983年3月26日生まれの黒鹿毛の牝馬で、母はリユウアコンバツト、母の父はインデイアナ。
ユウミロクの代表的な競走実績は以下のとおりだ。
- 1986年5月18日:優駿牝馬(オークス)2着
- 1987年10月25日:カブトヤマ記念GIII優勝
- 1988年:福島民報杯3着
- 1986年:チューリップ賞3着
- 1986年:UHB杯3着
特に注目したいのが、1986年のオークスだ。
このレースでユウミロクは、名牝メジロラモーヌに次ぐ2着に入った。メジロラモーヌは同年の牝馬三冠を達成した歴史的な名馬である。
その相手にオークスで2着となったことは、ユウミロク自身の競走能力を示す重要な実績だ。
翌1987年にはカブトヤマ記念を制覇。父カツラノハイセイコの代表産駒として、その名を競馬史に残した。
ユウミロクからも広がった血統
さらに興味深いのは、ユウミロクが繁殖牝馬としても実績を残したことだ。
JBISサーチの血統・繁殖関連記録には、ユウミロクの産駒として次の馬が確認できる。
- ユウセンショウ:1996年目黒記念GII優勝
- ゴーカイ:2001年中山グランドジャンプJGⅠ優勝
- ユウフヨウホウ:2001年中山大障害JGⅠ優勝
- マイネルユニバース:2005年新潟ジャンプS JGIII優勝
これらはカツラノハイセイコの直接の産駒ではなく、ユウミロクを母とする次世代の馬たちである。
特にゴーカイとユウフヨウホウは障害競走の大舞台を制しており、ユウミロクの繁殖牝馬としての価値も示している。
競走馬としてのダービー制覇だけでなく、産駒、さらにその次の世代まで含めて見ると、カツラノハイセイコの血統的な功績は一段と広がる。
【現在と死亡の真相】カツラノハイセイコは2009年に33歳で死亡
「カツラノハイセイコは現在どうしているのか」という疑問に対する答えは明確だ。
カツラノハイセイコは、2009年10月8日、33歳で死亡している。
死亡場所は栃木県那須塩原市のJBBA那須種馬場。死因は老衰だった。
この事実は2009年10月8日付のラジオNIKKEI「競馬実況web」が、JRA発表に基づいて報じている。
死亡当時の状況
死亡時の報道では、JBBAの木村慶純業務部長が同馬の晩年について説明している。
その説明によれば、種牡馬引退後は那須で余生を過ごしていたが、高齢による体力の衰えが進行していた。
2009年9月ごろから体調を崩し、死亡直前には食欲が落ち、起立できない状態になったという。
関係者は水分や栄養の補給などで回復を試みたものの、10月8日午前9時ごろ、老衰のため死亡した。
享年33歳。競走馬としての引退から長い年月を経て、静かな最期を迎えた。
2026年現在の記録と評価
2026年11月時点でも、JBISサーチや競走馬のふるさと案内所では、カツラノハイセイコのプロフィール、競走成績、血統、種牡馬成績などを確認できる。
公開されている主な記録は以下のとおりだ。
| 確認項目 | 2026年時点の情報 |
|---|---|
| 生年月日 | 1976年5月13日 |
| 生涯成績 | 23戦8勝 |
| 日本ダービー | 1979年優勝 |
| 天皇賞(春) | 1981年優勝 |
| 種牡馬供用期間 | 1982~1998年 |
| 代表産駒 | ユウミロク |
| 死亡年月日 | 2009年10月8日 |
| 死亡時年齢 | 33歳 |
JBISサーチの2026年10月末更新データでも、競走成績や種牡馬関連の記録が公開されている。もちろん、これらは過去の実績を記録したデータであり、2026年に現役で活動しているという意味ではない。
【よくある質問】カツラノハイセイコに関するFAQ
Q1:カツラノハイセイコの生涯成績は何戦何勝ですか?
国内23戦8勝です。内訳は8勝、2着7回、3着3回、着外5回。日本ダービー、目黒記念(秋)、マイラーズカップ、天皇賞(春)などを制し、総収得賞金は約3億1,216万円でした。
Q2:カツラノハイセイコは現在も生きていますか?
いいえ。2009年10月8日に栃木県那須塩原市のJBBA那須種馬場で老衰のため死亡しました。享年33歳です。
Q3:カツラノハイセイコの父親は誰ですか?
父親はハイセイコーです。母はコウイチスタア、母の父はジヤヴリンです。父ハイセイコーが1973年の日本ダービーで3着だったのに対し、息子は1979年に日本ダービーを制しました。
Q4:カツラノハイセイコの代表産駒は誰ですか?
代表産駒はユウミロクです。1986年のオークスでメジロラモーヌの2着に入り、1987年にはカブトヤマ記念GIIIを制しました。その後は繁殖牝馬となり、ユウセンショウ、ゴーカイ、ユウフヨウホウなどの重賞勝ち馬を送り出しています。
Q5:カツラノハイセイコは1979年の最優秀3歳牡馬ですか?
はい。JBISサーチの年度別表彰記録では1979年度の最優秀3歳牡馬として登録されています。当時の旧馬齢表記では4歳に当たります。
まとめ:カツラノハイセイコが競馬史に残した功績
カツラノハイセイコは、父ハイセイコーの名声を受け継ぎながら、自らも日本競馬史に残る実績を築いた名馬だった。
1979年の日本ダービーでは、父が届かなかった栄冠を獲得。1981年には天皇賞(春)を制し、マイル戦から長距離戦まで幅広い舞台で競走能力を発揮した。
生涯成績は23戦8勝。皐月賞、有馬記念、宝塚記念などでも上位に入り、単なるクラシックホースではなく、古馬になってからも活躍した実力馬だったことが数字に表れている。
種牡馬としての成績も見逃せない。全国的なリーディングサイアーの頂点に立ったわけではないものの、ユウミロクをはじめとする産駒が重賞で活躍し、地方競馬にも実績を残した。さらにユウミロクの子孫からもGⅠ級の勝ち馬が誕生している。
2009年に33歳で生涯を終えたカツラノハイセイコ。しかし、2026年現在も日本ダービーと天皇賞(春)の勝ち馬として、その競走記録は公開データに残されている。
カツラノハイセイコを評価する際の重要な視点は、父の名声だけでなく、本人の競走実績、種牡馬としての貢献、そしてユウミロクを通じた次世代への血統の継承を一体として見ることだ。 それこそが、この馬が単なる「ハイセイコーの息子」ではなく、独立した名馬として語り継がれる理由である。