長嶋茂雄さんとセコムの関係を理解するうえで、最初に押さえておきたいのが1971年のCM出演だ。
セコムの公式メモリアルサイトによると、両者の最初の接点は、長嶋さんの三塁守備を撮影した映像だった。
当時のセコムは、日本警備保障株式会社という社名で事業を展開していた。社内で長嶋さんの守備映像が話題になった理由は、打球を確実に受け止めるその姿が、会社の目指す警備のあり方と重なったからだ。
セコムの公式説明には、長嶋さんの守備を「鉄壁の守り」と捉え、警備のイメージと結び付けた経緯が記されている。
つまり、長嶋さんが選ばれたのは単に知名度が高かったからではない。野球選手としての実績と、企業が伝えたい安全・安心のイメージが一致していたのである。
1971年のCM「鉄壁の守り」編とは?
このCMは、長嶋さんの守備力をセキュリティの象徴として表現した作品だった。
当時の日本警備保障は創業から間もない企業であり、現在ほど「セコム」というブランド名が社会に浸透していたわけではない。
そこで、国民的な人気を持つ長嶋さんの姿を通じて、会社が提供する警備の価値を視覚的に伝えた。
この広告戦略には、現在の企業ブランディングにも通じる考え方がある。
- 目に見えにくい警備サービスを、誰もが知る人物の行動で表現する。
- 野球の守備と防犯という、異なる分野の共通点を見つける。
- 企業名を覚えてもらうだけでなく、企業が提供する安心感を印象付ける。
長嶋さんとセコムの関係は、こうした明確な広告上の狙いから始まった。
なお、1971年の初出演と、後述する1990年のブランドアンバサダー就任は別の出来事である。この違いが、両者の関係を理解する要点になる。
【1990年から35年間】ブランドアンバサダー就任と名フレーズ誕生の真相

1971年の初出演から時を経て、長嶋さんは1990年にセコムのCMへ再び登場した。
この年、長嶋さんはセコムのブランドアンバサダーに就任。2025年までの35年間、企業イメージを代表する存在として広告に出演し続けた。
セコムが2025年6月3日に公表した公式発表でも、1990年から35年間にわたりイメージキャラクターを務めたことが明記されている。
「セコム、してますか?」は1991年に誕生
長嶋さんの代名詞となった「セコム、してますか?」というフレーズが誕生したのは、1991年だ。
セコムの公式メモリアルサイトによれば、1991年に放送されたCM「笑顔編」「連鎖反応」編で、このセリフが登場した。
単純な企業名の宣伝ではなく、長嶋さんが視聴者に直接問いかける形式だったことが特徴だ。
防犯や警備は、必要性を感じていても日常生活の中で意識されにくいサービスである。
そこに長嶋さんの親しみやすい表情と、短く覚えやすい問いかけを組み合わせた。
この仕掛けによって、セコムという企業名と「安全を確保する」という行動が結び付いていった。
加えて、「セコムする」という表現が、警備することや安全・安心を確保することを連想させる言葉として広がるきっかけにもなった。
CM出演は30本以上!35年間の関係を年表で整理
セコムの2025年6月3日付の発表では、長嶋さんのCM出演本数は30本とされている。一方、公式メモリアルサイトでは、派生作品も含めて30本以上と説明されている。
両者の数字は、集計対象の違いによるものだ。
主な出来事を整理すると、次のようになる。
セコム公式メモリアルサイト・公式報道資料をもとに整理
この年表から分かるのは、長嶋さんの役割が単なるCM出演者にとどまらなかったことだ。
セコムのブランドが成長していく時期に、長嶋さんは企業の顔として認知を支え続けた。特に1991年のキャッチフレーズ誕生は、企業名を覚えてもらう広告から、日常生活の中で企業名が使われる広告へと変わる大きな転換点だった。
【歴代CMの魅力】ホームセキュリティ広告はどう進化した?
長嶋さんが出演したセコムのCMは、同じフレーズを繰り返すだけの広告ではなかった。
年代ごとに演出やテーマを変え、ホームセキュリティの価値をさまざまな角度から表現してきた。
1992年「社会の荒波」編
1992年の「社会の荒波」編では、長嶋さんが波の上を走る印象的な映像が使われた。
セコムの公式メモリアルサイトによると、このシーンは長嶋さんをピアノ線で吊り上げ、前方から扇風機で風を当てる方法で撮影された。
当時の映像制作技術を生かした演出であり、長嶋さんのひたむきな姿勢と、困難に立ち向かうイメージを重ねている。
1994年「日の用心」シリーズ
1994年には「泥棒編」「火事編」「ケガ編」の3種類からなるシリーズが登場した。
特徴は、中世の画家ブリューゲルの絵画をモチーフにした独特の世界観だ。
絵の中の人物や風景が動く部分にはCG処理が使われ、長嶋さんは別撮りで映像に登場している。
単に警備会社のサービスを紹介するのではなく、泥棒や火事など身近な危険を視覚的に伝える構成だった。
1995年「さらば万一たち」シリーズ
1995年には「にげろ編」「痛い編」「火事編」が放送された。
泥棒コンビを中心としたアメリカンポップ調の映像が特徴で、長嶋さんは「セコム効果でてますね。」というセリフで登場する。
主役として画面全体を占めるのではなく、短い出演で印象を残す構成も見どころだ。
1996年「評判ですよ!」シリーズ
1996年のシリーズでは、公園や病院、喫茶店などで長嶋さんがホームセキュリティの評判を耳にするという展開が採用された。
「ランニング編」「ホスピタル編」「ティールーム編」などが制作されている。
公式資料によると、長嶋さんの撮影はスタジオ内で行い、背景などは後から合成する方法が取られた。
1997年「タップ」編・「リャマ」編
1997年には、長嶋さんの明るさを生かした「タップ」編や「リャマ」編が登場した。
特にタップ編は、タップダンスの先生の動きを見ながら撮影したもので、事前に本格的な練習をしたわけではなかったというエピソードが公式サイトで紹介されている。
こうした作品群を振り返ると、長嶋さんの魅力を生かしながら、時代に応じて広告の表現方法を変えていたことが分かる。
【東京ドームの名物広告】長嶋茂雄とセコムのビッグボード
セコムと長嶋さんの関係を語るうえで、テレビCMと並んで忘れられないのが東京ドームのビッグボードだ。
セコムの公式資料によれば、長嶋さんを起用した広告が東京ドームのライトスタンド側に掲出され始めたのは1994年。
現在のメインビジョンにつながる広告面であり、野球ファンにとっても印象的な存在となった。
20種類以上のデザインが登場
セコムの公式メモリアルサイトでは、1994年から2025年までに掲出されたデザインが紹介されている。
その数は20種類以上。
1994年から始まり、1995年、1996年、1997年、1998年、1999年、2001年、2004年、2008年、2011年、2015年、2022年、2025年など、長い期間にわたってデザインが更新されてきた。
2013年には国民栄誉賞受賞を祝う特別仕様、2022年には文化勲章受章を祝う特別仕様も登場している。
また、ビッグボードにホームランを当てた選手には、セコムから賞金100万円が贈呈される仕組みも設けられていた。
セコムの公式資料では、これまで11人の選手によって14本のホームランが当てられたと紹介されている。
2025年6月には歴代広告15種類を特別掲出
長嶋さんが亡くなった後、セコムは追悼と感謝の気持ちを込めた特別企画を実施した。
2025年6月17日から29日までの読売巨人軍公式戦に合わせ、東京ドームのメインビジョンに歴代広告15種類を特別掲出したのである。
対象となったのは、1994年から2025年までに制作・掲出された20種類以上のデザインから選ばれた15種類。
各試合の表と裏で2種類が日替わりで登場し、「SECOM BIG BOARD HISTORY」というタイトルとともに、長嶋さんへの感謝のメッセージが添えられた。
これは単なる広告の再掲ではなく、長年にわたり企業と野球界をつないできた人物への追悼企画だった。
【2025年の話題作】大谷翔平と長嶋茂雄の「夢の対決」編とは?
2025年3月、セコムは新たなブランドアンバサダーとして大谷翔平さんを迎えた。
このタイミングで公開されたのが、長嶋さんとの共演を実現したCM「夢の対決」編だ。
セコムの2025年3月11日付の公式報道資料によると、同日からCMを公開し、3月15日からテレビ放映を開始した。
長嶋さんが亡くなる約3か月前に制作・公開された作品であり、2人の共演は大きな話題となった。
現役時代の長嶋さんをCGで再現
CMの舞台は野球場。
ピッチャーマウンドに立つ大谷さんに対し、バッターボックスには現役時代の長嶋さんが登場する。
もちろん、現役時代の長嶋さんをそのまま撮影したものではない。
セコムの公式説明では、さまざまな過去の資料を参考にし、長嶋さん本人の意見も取り入れながらCG映像を制作したとされている。
つまり、単に過去の映像を編集して並べたものではなく、本人の協力を得て現役時代の姿を再現した作品だった。
「セコム、してますか?」でも声の共演
このCMのもう一つの見どころは、最後の決めゼリフだ。
大谷さんと長嶋さんは、CMの締めくくりとなる「セコム、してますか?」のフレーズでも声の共演を果たしている。
長年にわたりセコムの顔を務めてきた長嶋さんから、新しいブランドアンバサダーの大谷さんへ。
企業の歴史と次の時代をつなぐ演出としても印象深い。
CMのキャッチフレーズは「挑戦を支える、安心をつくる。」
「夢の対決」編で掲げられたメッセージは「挑戦を支える、安心をつくる。」だった。
長嶋さんは日本のプロ野球を代表する存在であり、大谷さんはアメリカで活躍を続ける現代の野球界を象徴する選手だ。
異なる時代を代表する2人を組み合わせることで、セコムが長年大切にしてきた安全・安心という価値と、新しい時代への挑戦を同時に表現した。
ここで注目したいのは、このCMが長嶋さんの逝去後に作られた追悼作品ではないという点だ。
2025年3月の公開時点では、長嶋さん本人が制作に協力していた。生前の本人の意思が反映された共演映像だったことに、この作品ならではの意味がある。
【2025年6月3日以降】長嶋茂雄の逝去とセコムの広告使用継続、2026年の現在
2025年6月3日、長嶋茂雄さんは89歳で逝去した。
日本プロ野球名球会の公式発表によると、同日午前6時39分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなった。
読売巨人軍の終身名誉監督としても知られた長嶋さんの訃報は、野球界だけでなく、多くの人々に大きな衝撃を与えた。
セコムも同日、ブランドアンバサダーとして長年貢献した長嶋さんへの感謝と哀悼の意を表する公式発表を行った。
セコムは長嶋さんの広告使用を継続する方針
特に注目されたのが、逝去後の広告使用についての発表だ。
セコムは2025年6月3日付の公式報道資料で、長嶋さんのご家族と所属事務所の了承を得たうえで、引き続き長嶋さんの広告を使用すると発表した。
この発表によって、長嶋さんの姿がセコムの広告から一律に消えるわけではないことが明らかになった。
ただし、ここで注意したいのは、広告使用の継続と、すべてのCMをテレビで常時放送することは同じではないという点だ。
広告の使用を認める方針が公表されたことは事実だが、個々のCMの放送期間や放送頻度まで一律に決められたわけではない。
2026年11月現在、セコムのCMはどうなっている?
2026年11月6日時点で確認できるセコム公式CMライブラリーでは、次の2作品が紹介されている。
- 「たいせつなもの」編:大谷翔平さんが出演するCM。
- 「夢の対決」編:大谷翔平さんと現役時代の長嶋茂雄さんが共演するCM。
公式ライブラリーの掲載内容を見ると、現在のセコムの広告展開は大谷さんを中心とした新しいメッセージへ進んでいる一方、長嶋さんとの共演作品も引き続き紹介されている。
つまり、2026年の状況は、長嶋さんの広告をすべて終了したというものではない。
一方で、長嶋さんが亡くなった後も新たな本人出演CMが制作されている、という意味でもない。
過去の広告資産を継承しながら、新しいブランドアンバサダーによる広告展開を進めているという理解が適切だ。
2026年時点で間違えやすい3つのポイント
| よくある認識 | 事実 |
|---|---|
| 長嶋さんのセコム初出演は1990年 | 初出演は1971年。1990年はアンバサダー就任の年 |
| 1971年から35年間ずっと出演した | 35年間は1990年から2025年までのアンバサダー期間 |
| 逝去後もすべてのCMが常時放送されている | 広告使用継続の方針と、個別CMの放送状況は別 |
【プロの結論】長嶋茂雄とセコムの関係が特別だった本当の理由
長嶋さんとセコムの関係が特別だった理由は、単純な出演期間の長さだけではない。
1971年の「鉄壁の守り」編では、野球の守備力を警備の象徴に置き換えた。
1991年には「セコム、してますか?」という短いフレーズが誕生し、企業名そのものが日常的な安全意識と結び付くようになった。
そして1994年からは東京ドームのビッグボードにも登場し、テレビCMだけでなく野球場という現場でもブランドの顔を務めた。
この流れには、企業広告における3つの重要な要素がある。
1. ブランドとの一貫性: 長期間にわたって同じ人物を起用し、企業のイメージを定着させたこと。
2. 社会との接点: テレビCM、野球場の看板、記念広告など、異なる場所でブランドを認知させたこと。
3. 世代を超えた継承: 大谷さんとの「夢の対決」編を通じて、長嶋さんが築いたブランドイメージを次の時代につないだこと。
35年間という数字以上に注目すべきなのは、企業が伝えたい価値と長嶋さん自身の存在感が長く一致していた点だ。
広告の歴史を振り返ると、長嶋さんは単なるイメージキャラクターではなく、セコムのブランド形成を支えた重要な存在だったことが分かる。
【よくある質問】セコムと長嶋茂雄の関係に関するFAQ
Q1:長嶋茂雄がセコムのCMに初出演したのはいつですか?
1971年です。「鉄壁の守り」編で初出演しました。三塁手としての優れた守備と、警備会社が目指す守りのイメージが一致したことが起用のきっかけです。
Q2:「セコム、してますか?」はいつ誕生しましたか?
1991年です。CM「笑顔編」「連鎖反応」編で誕生したフレーズで、長嶋さんを象徴するセリフとして広く知られるようになりました。
Q3:長嶋茂雄はセコムのCMに何年間出演しましたか?
1990年から2025年までの35年間、ブランドアンバサダーを務めました。1971年の初出演から数えると、2025年まで54年間にわたる関係です。ただし、54年間ずっと連続してアンバサダーだったという意味ではありません。
Q4:セコムのCM出演本数は何本ですか?
セコムの2025年6月3日付の公式発表では30本です。公式メモリアルサイトでは、派生作品を含めて30本以上と紹介されています。
Q5:長嶋茂雄が亡くなった後、セコムのCMはどうなりましたか?
セコムは2025年6月3日、長嶋さんのご家族と所属事務所の了承を得て、広告使用を継続する方針を発表しました。2026年現在も公式CMライブラリーに大谷翔平さんとの「夢の対決」編が掲載されています。
Q6:大谷翔平と長嶋茂雄が共演したセコムのCMは何ですか?
2025年3月に公開された「夢の対決」編です。大谷さんが投手、CGで再現された現役時代の長嶋さんが打者として登場します。2人は最後の「セコム、してますか?」でも声の共演を果たしています。
Q7:東京ドームのセコムの長嶋茂雄看板はいつからありますか?
1994年からです。長嶋さんの写真を使ったビッグボードは野球ファンにも親しまれ、2025年6月には追悼企画として歴代広告15種類が特別掲出されました。
まとめ:セコムと長嶋茂雄の54年間は広告史に残る特別な関係
セコムと長嶋茂雄さんの関係は、1971年の「鉄壁の守り」編から始まり、1990年のブランドアンバサダー就任を経て、2025年まで続いた。
重要な節目を改めて整理すると、次のようになる。
- 1971年:セコムCM初出演。
- 1990年:ブランドアンバサダー就任。
- 1991年:「セコム、してますか?」誕生。
- 1994年:東京ドームのビッグボードに登場。
- 2025年3月:大谷翔平さんとの「夢の対決」編を公開。
- 2025年6月3日:逝去。セコムが広告使用継続を発表。
- 2026年:公式CMライブラリーで長嶋さんとの共演作品を紹介。
長嶋さんが築いたものは、30本以上のCM作品や、親しまれたキャッチフレーズだけではない。
企業の理念を一人の人物の姿に重ね、何十年にもわたって社会に伝え続けたブランドの歴史そのものだ。
「セコム、してますか?」という言葉が今も記憶に残っているのは、長嶋さんの人柄とセコムのブランドイメージが長い時間をかけて結び付いてきたからだろう。
2026年以降も、公式に発表された広告使用継続の方針と、大谷翔平さんを中心とする新たな広告展開の両方に注目したい。
主な参考資料:セコム株式会社「長嶋茂雄さんとセコムの歩み」「セコムCMライブラリー」「ブランドアンバサダー長嶋茂雄さんのご訃報に接して」「東京ドームに長嶋茂雄さん歴代の広告を特別掲出」、日本プロ野球名球会の訃報発表。