2026年、改めて注目を集めているのが、久米宏がパーソナリティーを務めたTBSラジオの『久米宏 ラジオなんですけど』だ。2006年10月7日に始まり、2020年6月27日に最終回を迎えた同番組は、約13年9カ月にわたって放送された。小島慶子、堀井美香らとの掛け合いや、久米宏ならではの鋭い時事評論、自由な語り口が特徴だった。
加えて、2026年1月1日には久米宏が肺がんのため81歳で亡くなり、同月13日に所属事務所が公表した。番組終了から約5年半を経て伝えられた訃報は、長年のリスナーにとっても大きな出来事となった。番組が始まった背景、歴代アシスタント、終了理由、現在も残る音声資料を整理すると、その魅力と久米宏がラジオに残したものが見えてくる。
【番組概要】久米宏の「ラジオなんですけど」とは?放送時間や内容を解説

『久米宏 ラジオなんですけど』は、TBSラジオで毎週土曜日に放送されていた生放送のトーク番組である。
放送時間は午後1時から午後2時55分まで。パーソナリティーの久米宏がニュース、政治、社会問題、文化、芸能など幅広いテーマを取り上げ、独自の視点で語る構成だった。
久米宏にとって、この番組は21年ぶりの本格的なラジオパーソナリティー復帰という意味も持っていた。
久米宏がテレビとは異なる表現を追求した番組
久米宏は1967年にTBSへ入社し、1979年に退社してフリーアナウンサーとなった。
テレビでは『ザ・ベストテン』や『ニュースステーション』などで知られるが、ラジオでも長いキャリアを持っていた。
特にTBSラジオの『土曜ワイドラジオTOKYO』は、久米が若手時代に関わった代表的な番組の一つである。
2006年の復帰では、テレビのニュース番組のように情報を整理して伝えるだけでなく、久米自身の疑問や感情、社会に対する違和感をそのまま言葉にするスタイルが特徴になった。
番組冒頭には、赤坂周辺からの生中継や久米による長めの一人語りが配置された。特にオープニングの約12分間は、リスナーにとって番組を象徴する時間だった。
番組の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 番組名 | 久米宏 ラジオなんですけど |
| 放送局 | TBSラジオ |
| 放送開始 | 2006年10月7日 |
| 最終放送 | 2020年6月27日 |
| 放送曜日 | 毎週土曜日 |
| 放送時間 | 午後1時~午後2時55分 |
| パーソナリティー | 久米宏 |
| 初代アシスタント | 小島慶子 |
| 2代目アシスタント | 堀井美香 |
| 主な内容 | 時事評論、街頭リポート、ゲストインタビュー、リスナー投稿 |
| 主な受賞 | 2007年ギャラクシー賞DJパーソナリティー賞 |
【歴代アシスタント】小島慶子から堀井美香へ!久米宏との関係
番組を語るうえで欠かせないのが、歴代アシスタントの存在だ。
久米宏のトークは、単なる一人語りではない。相手の反応を受けて話題を広げたり、予想外の方向へ話を展開したりすることに面白さがあった。
その個性を支えたのが、小島慶子と堀井美香だった。
初代アシスタント・小島慶子
2006年10月の番組開始時にアシスタントを担当したのが、元TBSアナウンサーの小島慶子である。
小島は久米宏とともに番組を立ち上げ、初期の番組の雰囲気を形づくった人物だ。
TBSラジオの2007年1月の番組審議会議事録にも、小島の進行について評価する意見が残されている。
久米の話を受け止めながら、必要な場面で自然に会話へ入り込む役割を果たしていた。
2009年3月まで担当し、同年4月から堀井美香に交代した。
2代目アシスタント・堀井美香
2009年4月から最終回までアシスタントを務めたのが、TBSアナウンサーだった堀井美香だ。
堀井は秋田県出身で、法政大学法学部を卒業。TBS在籍中は数多くのラジオ番組やナレーションなどで活躍した。
2018年のオリコンのインタビューでは、久米との初対面が本番開始のわずか5分前だったことを明かしている。
事前に十分な打ち合わせをすることなく生放送に入り、その後、約9年間にわたって共演を続けた。
堀井自身は、久米の話を毎週聞きに行くような感覚だったと振り返っている。このエピソードからも、久米のトークが番組の中心にあったことが分かる。
代役を務めたアナウンサー
レギュラーアシスタント以外にも、堀井の休暇などに伴い、TBSアナウンサーが代役を務めることがあった。
例えば、2016年3月5日の放送では外山惠理がピンチヒッターとして出演している。
したがって、歴代のレギュラーアシスタントと、特定の放送回だけ担当した代役は区別して理解したい。
【番組の歴史】2006年の放送開始から2020年の最終回まで
約14年間の歴史を振り返ると、番組の変化と久米宏のラジオに対する姿勢が見えてくる。
2006年10月7日:番組スタート
久米宏が21年ぶりにラジオのパーソナリティーへ復帰。初代アシスタントの小島慶子とともに、土曜日午後の生放送を開始した。
2007年:ギャラクシー賞を受賞
番組の評価を示す大きな出来事が、第44回ギャラクシー賞でのDJパーソナリティー賞受賞だった。
TBSグループの公式資料によると、久米はラジオの力と魅力を高めたことを評価され、この賞を受賞している。
放送開始から間もない時期に評価を得たことは、番組の存在感を示す出来事だった。
2009年4月:堀井美香がアシスタントに就任
小島慶子から堀井美香へ交代。以降、堀井は最終回まで久米のパートナーを務めた。
2020年1月上旬:番組終了が決定
TBSラジオと久米の所属事務所との話し合いで、6月末の番組終了が決まった。
2020年6月6日:終了を発表
久米本人が生放送中に、6月27日をもって番組を終了するとリスナーに報告した。
2020年6月27日:最終回
最終回には伊集院光がゲスト出演。番組開始当初を思わせる赤坂周辺からのリポートも行われ、約13年9カ月の歴史に幕を下ろした。
【人気コーナーと番組の評判】久米宏だから成立した独自のラジオ
この番組の魅力は、単純に有名人を招いて話を聞くことだけではなかった。
時事問題から身近な生活の話題まで、久米宏の関心に沿って自由に展開する構成に特徴があった。
1.オープニングの一人語り
番組冒頭の一人語りは、代表的な名物企画だった。
政治や社会問題について、久米が自分の考えを率直に述べる。話題によっては、ニュースの表面的な説明にとどまらず、報道の仕方や社会の反応そのものを問い直すこともあった。
TBSラジオの公式アーカイブには「空白の12分」と題されたオープニングトークの音声も残されている。
2.今週のエンターテインメント
テレビ、映画、音楽といったエンターテインメントに加え、社会的な出来事なども扱ったコーナーだ。
2007年のTBSラジオ番組審議会の記録にも、幅広いテーマを取り上げる番組構成が記載されている。
ジャンルを限定せず、世の中の動きを一つの話題として捉える点が特徴だった。
3.今週のスポットライト
ゲストを迎えて話を聞くコーナー。
TBSラジオの番組審議会資料では、著名人に限らず、現場で経験を持つ人にも約30分をかけて話を聞く構成が紹介されている。
政治家、研究者、文化人など、普段のニュースでは十分に伝わらない人物の考えや経験に触れられる時間だった。
最終回のゲストには伊集院光が登場した。
4.この人の器
過去の番組ページには「この人の器」という企画も記録されている。
ゲストが持参した食器や器を手がかりに、その人の人間としての器を考えるというユニークな内容だった。
番組の特徴は、社会問題を真剣に論じる一方で、こうした遊び心のある企画も成立させていた点にある。
番組の評判はどうだったのか
TBSラジオの2007年1月の番組審議会議事録には、番組を聴いた委員から次のような評価が寄せられている。
聞いた話が物すごく後に残る番組です。
また、久米の楽しそうな語りがラジオを通して伝わってきたという意見や、テレビとは異なる表現ができているという評価もあった。
一方、久米宏の個性が強いため、好みによって受け止め方が分かれるという指摘もある。
つまり、誰にでも受け入れられる無難な番組ではなかった。強い個性を持つパーソナリティーが、リスナーと真正面から向き合う番組だったのである。
【放送終了理由】久米宏が語った集中力と根気の衰えとは?
『ラジオなんですけど』の終了理由について、久米宏本人は2020年6月6日の放送で説明している。
重要なのは、番組終了が突然決まったわけではないことだ。
終了の決定は2020年1月上旬
久米によると、番組終了は2020年1月上旬、TBSラジオと所属事務所との打ち合わせで決まっていた。
本人の意思も含まれた決定だったという。
その後、6月6日の放送でリスナーに発表した。発表が遅れた理由として、新型コロナウイルスの感染拡大によって報告するタイミングを失ってしまったことを説明している。
久米本人が明かした身体的・精神的な変化
終了理由として久米が挙げたのは、加齢による集中力や根気の衰えだった。
本人は、以前にはなかったような言い間違いが増えたことにも触れている。
ラジオの生放送は、台本を読むだけの仕事ではない。
ニュースやゲストの発言を理解し、その場で質問を組み立て、会話の流れを判断しながら言葉を返していく必要がある。
久米のように即興性を重視するパーソナリティーにとって、集中力や瞬発力の変化は、仕事の質に直結する問題だったと考えられる。
「下り坂になる前に辞める」という美学
もう一つの理由が、久米自身の仕事に対する考え方だった。
番組を終了するなら、人気や内容が下降してからではなく、良い状態のうちに終わらせるべきだという持論を語っている。
これは単なる引退宣言ではない。
長年にわたってテレビとラジオの第一線で仕事をしてきた久米が、自分の仕事の質に責任を持とうとした判断でもあった。
ギャラやスポンサー不足が原因だったのか?
番組終了をめぐっては、出演料やスポンサーの問題を原因とする見方も一部で報じられた。
しかし、これらを番組終了の決定的な原因とする公式発表は確認できない。
久米本人が放送で説明した中心的な理由は、加齢による集中力・根気の変化と、番組を良い状態で終えたいという考えだった。
したがって、経済的な事情だけで番組終了を説明するのは正確ではない。
【2026年最新情報】久米宏の逝去と番組アーカイブの現在
2026年1月、久米宏の訃報が伝えられた。
所属事務所オフィス・トゥー・ワンの発表によると、久米は2026年1月1日、肺がんのため満81歳で亡くなった。公表は1月13日で、葬儀は近親者のみで執り行われた。
『ラジオなんですけど』の終了から約5年半後の出来事だった。
久米宏の死去後に改めて注目されるラジオの仕事
久米宏はテレビ朝日の『ニュースステーション』で1985年から2004年までメインキャスターを務めた人物として広く知られている。
しかし、本人にとってラジオは、テレビとは異なる表現ができる重要な場所だった。
2020年6月27日の最終回でも、ラジオとテレビの違いや、自分の仕事人生について語っていた。
特に印象的なのは、テレビのように多くの視聴者を相手にするメディアと、じっくり話を聴いてもらえるラジオの違いに言及したことだ。
久米の訃報をきっかけに、テレビでの実績だけでなく、ラジオパーソナリティーとしての仕事を振り返る意味も大きくなっている。
ポッドキャストや過去放送のアーカイブは残っている?
TBSラジオの公式サイトには、番組の旧ページが現在も残されている。
確認できる資料には、次のようなものがある。
- 番組の出演者・放送情報を掲載した公式ページ
- 過去のゲストや放送内容のバックナンバー
- ポッドキャスティングに関する案内
- 2016年のオープニングトークなど、一部の過去音声
特に2016年3月5日の「久米宏の公開スパーリングインタビュー」や、同年2月27日のアメリカ大統領選をテーマにしたオープニングトークなどが、公式の音声資料として紹介されている。
ただし、旧ページに掲載されている当時の放送時間や番組案内は、現在の放送スケジュールを示すものではない。また、公式ページに過去音声の案内があることと、全放送回を完全な形で聴けることは別である。
現在、番組を振り返る際には、TBSラジオの公式アーカイブや保存されている音声資料を中心に探すのがよい。
2026年1月にはTBSラジオでも久米宏の音声を紹介
久米の訃報を受け、TBSラジオの番組『金曜ワイドラジオTOKYO えんがわ』は、2026年1月16日の放送で若手時代の久米の音声を紹介した。
取り上げられたのは、1971年放送の『土曜ワイドラジオTOKYO』内の「久米宏、なんでも中継」などの音源だった。
これは『ラジオなんですけど』の再放送ではないが、久米のラジオパーソナリティーとしての原点を振り返る貴重な機会となった。
テレビの名キャスターとしてだけでなく、ラジオの現場で長年培った表現力を改めて知ることができる資料である。
【プロの結論】「ラジオなんですけど」が残したものは何だったのか
『久米宏 ラジオなんですけど』の価値は、約14年間という放送期間だけでは測れない。
注目すべきなのは、久米宏がテレビとは異なるコミュニケーションの形を、ラジオという媒体で追求したことだ。
番組には、次の3つの特徴があった。
第一に、パーソナリティーの個性を前面に出したこと。
情報を整理して無難に伝えるだけでなく、自分の意見や疑問を率直に表現する。賛否が分かれることも含めて、久米宏らしさが番組の魅力になっていた。
第二に、長時間の対話を大切にしたこと。
ゲストの肩書だけで判断せず、経験や考え方に時間をかけて耳を傾ける。短いコメントでは伝わらない人物像を引き出す構成だった。
第三に、自分の仕事の終わり方を自分で考えたこと。
集中力や根気の変化を認め、番組の質を維持できる段階で終了するという判断は、長年仕事を続けてきた放送人としての矜持を感じさせる。
番組を今から聴き直したい人には、まずオープニングトークをおすすめしたい。久米の時事評論や独特の話の展開を味わいたい人には特に向いている。
一方、短時間でニュースの結論だけを知りたい人には、長めの一人語りやゲストとの対話は少しゆっくり感じられるかもしれない。
それでも、言葉を選び、相手の話を聞き、時には反論しながら考えを深めていくラジオの面白さを知るには、今も価値のある番組だ。
【よくある質問】久米宏の「ラジオなんですけど」に関するFAQ
Q1:『久米宏 ラジオなんですけど』はいつからいつまで放送されていた?
A1:2006年10月7日にスタートし、2020年6月27日に最終回を迎えた。約13年9カ月にわたってTBSラジオで放送された。
Q2:歴代アシスタントは誰?
A2:初代は小島慶子で、2006年の放送開始から2009年3月まで担当した。2009年4月から最終回までは堀井美香がアシスタントを務めた。外山惠理などが一部の放送回で代役を担当したこともある。
Q3:番組が終了した本当の理由は?
A3:久米宏本人は、加齢による集中力や根気の衰え、言い間違いの増加などを挙げていた。また、番組が下降線に入る前に終わらせたいという自身の考えも説明している。終了は2020年1月上旬にTBSラジオと所属事務所との話し合いで決まっていた。
Q4:久米宏は2026年に亡くなったの?
A4:はい。所属事務所の発表によると、2026年1月1日に肺がんのため81歳で亡くなった。訃報は同月13日に公表された。
Q5:過去の放送やポッドキャストは現在も聴ける?
A5:TBSラジオの公式サイトには旧番組ページや過去音声の試聴資料が残っている。一部のポッドキャスト関連資料も確認できる。ただし、全放送回が完全な形で公開されているわけではないため、聴ける音源は個別に確認する必要がある。
Q6:久米宏は番組でどのような賞を受賞した?
A6:2007年5月、第44回ギャラクシー賞のDJパーソナリティー賞を受賞した。番組を通じてラジオの魅力を高めたことが評価された。
まとめ:久米宏「ラジオなんですけど」は2026年も聴き継ぎたい番組
『久米宏 ラジオなんですけど』は、2006年10月7日から2020年6月27日まで放送された、TBSラジオを代表する長寿番組の一つだ。
小島慶子から堀井美香へとアシスタントが交代しながら、久米宏は時事問題、文化、社会、身近な出来事を独自の視点で語り続けた。
番組終了の背景には、本人が感じていた集中力や根気の衰えと、良い状態のうちに番組を終えたいという仕事への美学があった。
そして2026年1月の逝去によって、番組は久米宏の長い放送人生を振り返るうえでも重要な記録となった。
現在も残るTBSラジオの公式アーカイブや過去音声は、その語りを改めて聴くための貴重な資料である。
久米宏がラジオで見せた、自由で率直な言葉の力。『ラジオなんですけど』は、番組終了後も日本のラジオ文化を考えるうえで忘れられない存在であり続ける。
主な事実確認資料: TBSラジオ公式番組審議会議事録・番組アーカイブ、TBSグループ公式資料、日刊スポーツ、オリコン、マイナビニュース、テレビ朝日および所属事務所の訃報発表、TBSラジオ2026年1月16日放送記事。