timeleszのメンバーとして活躍する松島聡。テレビやステージで見せる柔らかな笑顔や、独自の感性を生かした創作活動。その人柄の背景には、静岡県の自然に囲まれた少年時代と、家族との深い思い出がある。幼少期には母親と別れ、父親が姉と松島を男手ひとつで育てた。父が作ってくれたお弁当、学校行事での思い出、母と手をつないだ感覚など、本人が語ったエピソードからは、家族に支えられて成長した日々が浮かび上がる。
また、小学生時代から絵や工作などの創作に関心を持ち、空手にも取り組んでいた。Hey! Say! JUMPへの憧れをきっかけに芸能界を目指し、10代前半でオーディションに挑戦。2011年にはSexy ZoneのメンバーとしてCDデビューを果たした。2026年現在のtimeleszでの活動につながる、松島聡の生い立ちと幼少期のエピソードを時系列で整理する。
【生い立ち】松島聡の幼少期は静岡の茶畑と緑に囲まれた環境だった

1997年生まれ、静岡県出身の松島聡
松島聡は1997年11月27日生まれ、静岡県出身。所属するSTARTO ENTERTAINMENTの公式プロフィールにも、生年月日と出身地が掲載されている。
幼少期を過ごした静岡について、松島は2024年8月13日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』で、黒柳徹子に地元の環境を説明している。
「本当に茶畑。もう緑に囲まれて育った」
本人の説明によれば、周囲には茶畑が広がり、自然が豊かで、コンビニも数店舗ほどしかない静かな場所だったという。
華やかな芸能界とは対照的な、落ち着いた自然環境。そうした場所で過ごした少年時代は、松島の感性を考えるうえでも興味深い背景だ。
特に、後年になって本人がアートや日本の伝統文化に関心を示していることを考えると、静岡での生活は単なる出身地という以上の意味を持っている。
2025年には学生時代に所属していた茶道クラブでの経験を振り返り、静岡出身でお茶が身近だったことも、茶道を改めて学びたい理由として挙げている。幼少期から親しんだ地域文化とのつながりが、大人になってからの関心にも続いている。出身地の記憶が現在の活動や価値観にもつながっている点は見逃せない。
【家族構成】父親との関係と母親との忘れられない思い出
父親が姉と松島聡を男手ひとつで育てた
松島聡の幼少期を語るうえで欠かせないのが、父親の存在だ。
2024年の『徹子の部屋』出演時に明かされたのは、幼い頃に母親と別れた後、父親が姉と松島を男手ひとつで育てたという家庭環境だった。
父親は仕事をしながら子育てを担い、日常生活のさまざまな場面で子どもたちを支えていた。
松島が特に感謝しているのは、父親が作ってくれたお弁当や学校行事への参加だ。
運動会や授業参観など、学校の行事にはほとんど参加してくれたという。忙しい日々のなかでも、子どもたちと向き合う時間を大切にしていたことが伝わってくる。
松島自身も番組で、父親は自分が見ていないところでも多くの苦労をしてくれたはずだと振り返り、感謝を口にしていた。
20歳の頃に読み返した父親の健康手帳
父親とのエピソードのなかでも、特に印象的なのが成長記録を残した健康手帳だ。
父親は松島の成長について、健康手帳に細かく言葉を書き残していた。松島は20歳頃にその記録を読み返し、自分が思っていた以上に父親が成長を見守ってくれていたことに気づいたという。
「僕が思っていた以上に僕の成長を間近で丁寧に見てくれていた」
子どもの頃には当たり前だと思っていた父親の行動も、大人になってから振り返ると違った意味を持つ。
お弁当を作ることも、学校行事に参加することも、日々の成長を記録することも、決して一度きりの出来事ではない。毎日の積み重ねだったからこそ、松島の心に強く残っているのだろう。
母親は「自慢の母親」だった
母親についても、松島は『徹子の部屋』で大切な記憶を語っている。
幼い頃に母親と別れたため、現在は顔や表情の記憶が薄れてきているという。しかし、手をつないだときの感覚は今も覚えているそうだ。
母親については、周囲の友人から美人だと言われることも多かったと振り返り、次のように表現している。
「自慢の母親でした」
顔の記憶が薄れていく寂しさを感じながらも、手をつないだ感覚が残っていることを肯定的に受け止めているという。
幼少期の記憶は必ずしも写真のように鮮明に残るものではない。松島の話からは、母親との短い時間が、感覚として今も心に残っていることがうかがえる。
8歳年上の姉も松島聡を支えた存在
松島には8歳年上の姉がいる。
高校進学を機に上京した際には、姉も静岡での仕事を辞めて東京へ移り、松島と2人で暮らし始めた。家事や食事など、生活面でも姉がサポートしていたことが『徹子の部屋』関連の報道で伝えられている。
幼少期から父親と姉に支えられてきた松島にとって、姉は家族であると同時に、芸能活動の初期を支える身近な存在でもあった。
なお、父親や姉の詳しい個人情報など、家族のプライベートに関する詳細は広く公表されていない。本人が語ったエピソードから確認できる家族の姿を大切にしたい。
【小学生時代】絵や創作が好きだった松島聡と空手のエピソード
父親の影響で幼少期からアートに関心
松島聡のもう一つの特徴が、幼い頃から続く芸術や創作への関心だ。
2021年3月の女性誌『bis』のインタビューでは、小さい頃からアートに興味があったと本人が明かしている。
その背景にあったのが父親の存在だった。父親は絵が上手で字もきれい。設計士という仕事柄、細かな部分までこだわる性格だったという。
松島は、そうした父親の姿を見てアートに興味を深めていったと説明している。
学校の自由研究では父親に協力してもらいながら作品を制作していた。また、本人によれば、美術が得意科目で、割り箸を使った作品で賞を取った経験もある。
加えて、2023年の日刊スポーツのインタビューでは、ポイ捨て防止を呼びかけるポスターのイラストで市長賞を受賞した経験も紹介された。
こうしたエピソードからは、単に絵を描くことが好きだっただけではなく、アイデアを形にして人に伝えることにも関心を持っていたことが分かる。
小学生時代には空手にも挑戦
創作活動と並んで、松島の小学生時代を特徴づけるのが格闘技の経験だ。
2024年の『徹子の部屋』では、当時、強くなりたいという気持ちから格闘技を習い始めたことを明かした。
父親がブルース・リーを好きだったことも、格闘技に興味を持つきっかけの一つだったという。
特に空手については、父親が健康手帳に成長の変化を記録していた。
空手を始めたことで骨格が変わり、体つきがたくましくなってきたことまで、父親は丁寧に書き残していたそうだ。
松島は20歳頃にその記録を読み返し、自分の成長を父親が細かく見守っていたことに改めて気づいた。
このエピソードは、空手の経験そのものだけでなく、父親が子どもの変化をどれほど注意深く見ていたかを示すものでもある。
創作と空手に共通する幼少期の経験
絵や工作と空手。一見すると異なる分野だが、どちらも松島が自分の興味を実際の行動に移していた経験だ。
父親の影響を受けながら創作に取り組み、強くなりたいという気持ちから空手を始める。幼少期から、自分の好きなことに積極的に向き合う姿勢が見られる。
後年の個展開催や表現活動を考える際にも、この時期の経験は興味深い背景となっている。
【芸能界入り】12歳・13歳のオーディションからSexy Zoneデビューまで
きっかけはHey! Say! JUMPへの憧れ
松島聡が芸能界を目指すようになったきっかけの一つは、Hey! Say! JUMPへの憧れだった。
小学館の『ちゃお』公式サイトが2023年に掲載したインタビュー紹介では、小学生時代の松島が、Hey! Say! JUMPのメンバーのバックダンサーになりたいという夢を持っていたことが伝えられている。
夢を実現するため、静岡と東京を新幹線で往復しながら歌やダンスの練習を続けていたという。
当時、ほかのメンバーと同じ時間に練習できないこともあったため、持ち運びできるDVDプレイヤーを購入。移動中にリハーサル動画を何度も見て、振り付けを覚えていたそうだ。
まだ小学生だった松島が、自分で練習方法を考え、限られた時間を活用していたことが分かる。
オーディションの年齢は12歳と13歳の記録がある
松島のオーディションについて調べると、12歳と13歳という二つの年齢表記が見られる。
小学館の『ちゃお』公式記事では、夢に向かって一歩を踏み出し、ジャニーズ事務所のオーディションを受けたのは12歳のときと紹介されている。
一方、2024年8月の『徹子の部屋』の放送内容を伝えたテレビ朝日POSTやMANTANWEBでは、本人が13歳でオーディションを受けたと説明したことが報じられている。
そのため、年齢については掲載媒体によって表記に違いがある。小学時代の挑戦を紹介する際には12歳、2024年の番組関連報道では13歳という記録が残っている点を押さえておきたい。
2011年にSexy ZoneとしてCDデビュー
オーディションを経て芸能活動を始めた松島は、2011年に大きな転機を迎える。
2011年11月16日、Sexy ZoneのメンバーとしてCDデビューを果たした。
当時の松島は13歳。オリコンのデビュー当日の報道でも、松島が13歳だったことが紹介されている。
デビュー後もしばらくは静岡から東京の仕事に通い、高校進学を機に上京することになる。
松島聡の幼少期から2026年までの年表
| 時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1997年11月27日 | 誕生 | 静岡県出身。STARTO公式プロフィールに掲載。 |
| 幼少期 | 静岡で成長 | 茶畑や緑に囲まれた自然豊かな環境で育つ。 |
| 小学生時代 | 創作活動・空手 | 絵や工作に関心を持ち、空手にも取り組む。 |
| 12~13歳頃 | 芸能界への挑戦 | Hey! Say! JUMPへの憧れをきっかけにオーディションへ挑戦。年齢表記は媒体によって異なる。 |
| 2011年11月16日 | Sexy Zone CDデビュー | 13歳で5人組グループのメンバーとしてデビュー。 |
| 2024年4月1日 | timeleszへ改名 | Sexy Zoneからグループ名を変更。 |
| 2025年2月15日 | 8人体制へ | 新メンバー5人の加入が正式発表される。 |
| 2026年 | timeleszとして活動 | グループ活動に加え、ドラマ出演など個人の仕事も展開。 |
この年表から分かるのは、松島が幼少期から抱いていた夢を、比較的早い段階で芸能活動につなげたことだ。小学生時代の練習やオーディションへの挑戦から、13歳でのCDデビューまで、短い期間に大きな環境の変化を経験している。
【上京後の転機】父や姉との生活から芸能活動の新しいステージへ
高校進学を機に静岡から東京へ
Sexy Zoneとしてデビューした後も、松島はしばらく静岡から仕事に通っていた。
しかし、高校進学を機に生活の拠点を東京へ移すことになる。その際、8歳年上の姉も一緒に上京し、2人暮らしを始めた。
姉は静岡での仕事を辞め、松島の生活を支えるために東京へ移ったという。家事や食事など、日々の暮らしをサポートしていたことも明かされている。
芸能活動と学業を両立する10代にとって、家族の支えは大きかったはずだ。
一人暮らしで感じたホームシック
その後、一人暮らしを始めると、松島はホームシックを経験した。
帰宅したときに「おかえり」と声をかけてくれる人がいないことや、食生活を自分で管理する難しさを感じたと、2024年の『徹子の部屋』で振り返っている。
2018年には突発性パニック障害のため活動を休止。約1年9カ月の休養期間を経て、2020年に活動へ復帰した。
この経験について、松島は自分の弱さも受け入れられるようになったと語っている。家族やメンバーなど周囲の人々に支えられながら、自分自身と向き合う時間を過ごしたことも、現在の表現者としての姿につながっている。
【プロの結論】松島聡の幼少期から見える3つの人物像と2026年の現在
1. 家族の愛情を後から深く理解する人物
松島の幼少期を象徴するのは、父親が残した健康手帳のエピソードだ。
お弁当や学校行事への参加など、父親の愛情は日常生活のなかにあった。子どもの頃には気づかなかった細かな気遣いを、20歳頃に記録を読み返して理解したという話には、家族との関係性がよく表れている。
母親についても、顔の記憶が薄れていく寂しさを抱えながら、手をつないだ感覚を大切にしている。
松島の家族エピソードは、単に苦労した生い立ちとして語るよりも、限られた記憶や日常の積み重ねを大切にする姿として受け止めるのが自然だろう。
2. 幼少期から表現することへの関心が強かった
父親の影響を受けた絵や工作、学校での受賞経験、そして後年の個展開催。これらを時系列で見ると、創作への関心が一時的な趣味ではなかったことが分かる。
2023年には自身初の個展「松島聡 コ。展」を開催。マネキンをモチーフにした作品などを通じて、自分の感性を表現した。
日刊スポーツのインタビューでは、幼少期から創作が好きだったことや、父親と母親から受けた影響についても語っている。
小学生時代に割り箸で作品を作っていた少年が、大人になって自分の世界観を展示する。幼少期と現在の創作活動には、時間を超えて続く共通点がある。
3. 2026年は8人体制のtimeleszで活動
松島が所属するSexy Zoneは、2024年4月1日にグループ名をtimeleszへ変更した。
さらに2025年2月15日、新メンバーとして寺西拓人、原嘉孝、橋本将生、猪俣周杜、篠塚大輝の5人が加入。これにより、timeleszは8人体制となった。
2026年のSTARTO ENTERTAINMENT公式バイオグラフィーには、松島個人のテレビ出演やtimeleszのアルバム、コンサートなどの活動が掲載されている。
かつて静岡から東京へ通い、13歳でデビューした少年は、現在ではグループ活動と個人の表現活動の両方に取り組む存在となった。
幼少期の創作経験や家族との思い出は、現在の松島を理解するための重要な手がかりだ。
幼少期の情報を調べる際に押さえたいポイント
松島聡の生い立ちについては、本人の発言と報道内容を区別して整理すると理解しやすい。
- 出身地:静岡県出身であることは所属事務所の公式プロフィールで確認できる。
- 家族:父親が姉と本人を育てたこと、母親との幼少期の記憶は本人が番組で語っている。
- 創作活動:父親の影響や美術の成績、作品の受賞経験は本人のインタビューで紹介されている。
- オーディション年齢:12歳と13歳の表記が存在するため、年齢だけで一律に説明しないことが大切。
- 家族の詳細:家族の名前や私生活など、本人が公表していない情報まで事実として扱わないことが重要。
こうした情報を整理すると、ネット上の断片的なプロフィールよりも、本人が実際に語った経験を中心に松島の人物像を理解できる。
松島聡の幼少期に関するよくある質問(FAQ)
Q1:松島聡はどこで生まれ育った?
A1:静岡県出身。本人は『徹子の部屋』で、幼少期は茶畑や緑に囲まれた自然豊かな場所で過ごしたと語っている。
Q2:松島聡の父親はどんな人?
A2:設計士として働いていた父親は、姉と松島を男手ひとつで育てた。お弁当を作り、運動会や授業参観にも参加。松島の成長記録を健康手帳に残していたことでも知られている。
Q3:松島聡は何歳でオーディションを受けた?
A3:小学館の『ちゃお』公式記事では12歳、2024年の『徹子の部屋』関連報道では13歳と紹介されている。媒体によって年齢表記が異なるため、両方の記録を押さえておきたい。
Q4:松島聡は子どもの頃から絵が得意だった?
A4:はい。本人は幼少期からアートに興味があり、美術が得意科目だったと語っている。割り箸を使った作品で賞を受けた経験や、ポスターイラストで市長賞を受賞した経験も紹介されている。
Q5:松島聡は現在どのグループで活動している?
A5:2026年現在はtimeleszのメンバー。2024年4月の改名を経て、2025年2月から5人の新メンバーを迎えた8人体制で活動している。
まとめ:松島聡の幼少期は家族の支えと豊かな感性に彩られていた
松島聡の幼少期を振り返ると、静岡の茶畑に囲まれた環境、父親が作るお弁当や健康手帳、母親と手をつないだ記憶、姉との関係など、家族との思い出が数多く残されている。
また、父親の影響を受けた絵や工作、小学生時代の空手、Hey! Say! JUMPへの憧れから始まった芸能界への挑戦など、少年時代には現在の松島につながる経験が積み重なっていた。
2011年に13歳でSexy ZoneとしてCDデビューし、2024年のtimeleszへの改名、2025年の8人体制への移行を経て、2026年も新たな活動を続けている。
幼少期のエピソードから見えてくるのは、家族への感謝を忘れず、自分の好きな表現を大切にしてきた松島聡の姿だ。静岡で過ごした少年時代の経験は、現在のアイドルとしての活動だけでなく、アートや俳優業など幅広い表現にもつながっている。
今後、timeleszとしてどのような景色を見せてくれるのか。幼少期から続く松島聡自身の感性と、家族から受け取った思いを大切にする姿勢にも注目したい。