事故が発生したのは、2020年1月13日の早朝。場所はマレーシアの首都クアラルンプール近郊にある高速道路だった。
桃田は当時、男子シングルスの世界ランキング1位。2020年シーズンの初戦となったマレーシア・マスターズ2020に出場し、1月12日の決勝でデンマークのビクトル・アクセルセンを破って優勝していた。
大会終了後、桃田は帰国するため、宿泊先からクアラルンプール国際空港へ向かうワゴン車に乗車していた。車内には桃田のほか、平山優コーチや森本哲史トレーナーらも同乗していた。
日本バドミントン協会の発表や当時の報道によると、事故は現地時間の午前5時ごろに発生。日本時間では同日午前6時ごろに当たる。
事故によってワゴン車の運転手が死亡。桃田を含む同乗者も負傷し、現地の病院へ搬送された。
大会で優勝した翌朝に起きた突然の事故だった。東京五輪での金メダル獲得が期待されていた選手を襲った出来事として、日本国内だけでなく海外のスポーツメディアでも大きく報じられた。
【桃田賢斗の事故原因と衝突状況】大型トラックへの追突だった

事故の状況について、当時のマレーシア現地報道では、桃田らを乗せたワゴン車が高速道路を走行中、大型トラックの後部に追突したと伝えられている。
現場として報じられたのは、クアラルンプール近郊のMEX高速道路、13.7キロ地点付近だ。
ロイター通信や現地メディアの報道によれば、事故車両は空港へ向かう途中で、衝突によって車両前方が大きく損傷した。運転手は車内に閉じ込められ、救助活動が行われたものの死亡が確認された。
事故原因は居眠り運転だったのか
事故直後、運転手の居眠り運転が原因ではないかという情報も取り上げられた。
しかし、1月15日に報じられた地元警察の説明では、居眠り運転の可能性は低いとの見方が示されていた。
当時、捜査を担当していた警察署長は、車両が蛇行した形跡がないことなどを理由に挙げ、速度超過が原因だった可能性を指摘したとスポーツ紙が伝えている。
ここで注意したいのは、速度超過の可能性が報じられたことと、事故原因が最終的に確定したことは別だという点だ。
事故の発生状況として確認できるのは、ワゴン車が大型トラックの後部に衝突したこと。居眠り運転や速度超過については、当時の警察の見解として区別して理解する必要がある。
また、亡くなった運転手についても、事故の犠牲者の一人である。桃田本人も事故後、所属先を通じて運転手への哀悼の意を示している。
【桃田賢斗が負ったけが】右眼窩底骨折と顔面の裂傷
事故直後に発表された桃田の負傷内容は、顔面の複数箇所の裂傷と全身打撲だった。
日本バドミントン協会が2020年1月13日に公表した検査結果では、主な負傷として次の内容が伝えられた。
- 顎部の裂傷
- 眉間部の裂傷
- 唇の裂傷
- 全身打撲
事故当日の段階では命に別状はないとされていたが、顔面を中心に複数のけがを負っており、競技への復帰時期は見通せない状況だった。
1月17日には一度退院
桃田は1月15日に日本へ帰国し、NTT東日本関東病院で精密検査を受けた。
所属先のNTT東日本は1月17日、検査の結果、身体面に異常は認められなかったとして退院を発表した。
しかし、これですべての問題が解決したわけではなかった。
2月に入って日本代表合宿に参加した桃田は、練習中にシャトルの見え方に違和感を覚えるようになる。
シャトルが二重に見える症状が発覚
2020年2月3日から日本代表合宿に参加していた桃田は、4日の練習でシャトルが二重に見えるような症状を訴えた。
2月5日に合宿を離れ、専門的な検査を受けた結果、2月7日に判明したのが右眼窩底骨折だった。
眼窩底とは、眼球を収める眼窩の下側にある骨の部分を指す。
この部位の骨折は、目の動きや物の見え方に影響する場合がある。バドミントンのように高速で動くシャトルを追い、瞬時に距離や方向を判断する競技では、視覚の不調がプレーに直結する。
事故直後の検査では大きな異常が見つからなかった一方、競技練習を再開したことで目の異変が明確になり、追加検査で骨折が判明したという経緯だった。
【手術とリハビリの経緯】約11か月後に実戦復帰
2020年2月8日、桃田は右眼窩底骨折の手術を受けた。
NTT東日本の公式発表によると、手術は無事に終了。執刀医の見解では、全治まで約3か月を要する見通しだった。
2月13日に退院した後は、治療と静養を優先。2月29日からチーム練習に復帰したが、すぐに事故前と同じ強度でプレーできたわけではない。
事故から競技復帰までの主な時系列
| 時期 | 関係者・出来事 | 経緯と意味 |
|---|---|---|
| 2020年1月12日 | マレーシア・マスターズ2020 | アクセルセンを破り優勝 |
| 2020年1月13日 | マレーシア交通事故 | 高速道路で大型トラックに追突。運転手が死亡 |
| 2020年1月15日 | 日本への帰国 | NTT東日本関東病院で精密検査 |
| 2020年1月17日 | NTT東日本 | 初回の入院を終えて退院 |
| 2020年2月7日 | 右眼窩底骨折 | 追加検査で骨折が判明 |
| 2020年2月8日 | 右目の手術 | 手術が無事終了 |
| 2020年2月13日 | 退院 | 治療とリハビリを継続 |
| 2020年2月29日 | チーム練習 | 段階的な練習復帰 |
| 2020年12月23日 | 全日本総合選手権 | 約11か月ぶりに実戦復帰 |
| 2021年 | 東京五輪 | 男子シングルスで1次リーグ敗退 |
| 2024年4月 | 日本代表引退 | トマス杯を最後に代表活動を終了 |
| 2026年 | NTT東日本 | 選手兼コーチとして活動 |
約11か月ぶりの公式戦復帰
練習再開後も、新型コロナウイルスの感染拡大によって国際大会の開催が相次いで制限された。
そのため、桃田は身体の回復だけでなく、実戦感覚を取り戻す時間も必要とした。
大きな節目となったのは、2020年12月23日の全日本総合バドミントン選手権だった。
日本オリンピック委員会(JOC)の報道によると、桃田は男子シングルス1回戦で高校生選手に勝利。交通事故から約11か月ぶりとなる実戦復帰を果たした。
事故前は世界ランキング1位として圧倒的な強さを見せていた桃田にとって、この復帰戦は単なる大会出場以上の意味を持っていた。
再び競技の舞台に立つまでには、手術、静養、リハビリ、練習再開という段階を踏む必要があったのである。
【事故による目の後遺症と競技への影響】なぜ以前の強さを取り戻せなかったのか
桃田の事故を語るうえで重要なのが、右目の負傷と、その後も続いた視覚面の違和感だ。
手術後、一定の回復は見られたものの、本人は事故前と同じ感覚を完全に取り戻せたわけではないことを後年のインタビューで明かしている。
視力の問題だけではなく、シャトルとの距離感にも影響
バドミントンでは、相手のラケットから打ち出されたシャトルの軌道を読み、落下地点や速度を瞬時に判断する必要がある。
桃田の場合、事故後にはシャトルが二重に見える症状があった。
加えて、本人が後年の取材で語った内容からは、単純に視力が低下したという話だけではなく、見え方や距離感、身体の動かし方まで含めた競技感覚の変化があったことがうかがえる。
2022年には目の再検査を受けたことも報じられた。2024年のテレビ朝日の取材では、二重に見える範囲が残っており、完全には元の状態に戻っていないという趣旨の説明もしている。
つまり、手術が成功したことと、事故前と同じ競技パフォーマンスを取り戻すことは、必ずしも同じではなかった。
東京五輪での結果と事故後の苦悩
桃田は2021年に開催された東京五輪に出場したものの、男子シングルスの1次リーグで敗退した。
事故前の桃田は、2018年の世界選手権で日本男子初優勝を達成し、2019年には世界選手権2連覇、ワールドツアー年間11勝という実績を残していた。
そのため、東京五輪では金メダル候補として大きな期待を集めていた。
しかし、事故と手術による競技中断に加え、コロナ禍による大会環境の変化も重なった。復帰後の調整が簡単ではなかったことは、本人の後年の発言からも明らかになっている。
ここで重要なのは、東京五輪の敗退を事故だけで説明しないことだ。長期間の実戦不足やコンディション調整など、複数の要素が重なっていた。
2024年に日本代表を引退した理由
2024年4月18日、桃田は日本代表からの引退を発表した。
最後の代表活動は、4月27日に開幕したトマス杯だった。
TBS NEWS DIGなどの会見報道によると、桃田は2020年の交通事故以降、思い描くプレーと実際の身体の動きとの間にギャップを感じていたと説明している。
世界のトップ選手と再び戦うレベルを目指すことの難しさを感じたことが、代表引退を決断する背景の一つとなった。
一方で、桃田はバドミントンそのものを辞めるとは発表していない。
所属するNTT東日本での競技活動は続ける方針を明らかにしており、後進の育成や競技普及にも意欲を示していた。
【桃田賢斗の現在2026年最新】NTT東日本の選手兼コーチとして活動
2026年11月現在、桃田賢斗はNTT東日本バドミントン部に所属し、選手兼コーチとして活動している。
NTT東日本の公式選手プロフィールには、選手兼コーチとして掲載されており、2026年の抱負も紹介されている。
また、同社のバドミントン部メンバー一覧にも男子選手として名前が掲載されている。
日本代表を引退しても現役を続ける理由
桃田の2024年の決断は、競技人生の完全な終了ではなかった。
日本代表として世界一を目指す活動から退き、所属チームでの競技活動や指導、バドミントンの普及へと活動の軸を広げたものだ。
2026年2月5日には、新潟県内の講演会に登壇したことがNST新潟総合テレビで報じられた。
報道によると、桃田は現在もNTT東日本で競技を続けながら、コーチとして子どもたちの指導にも携わっている。
講演では、バドミントンの魅力を広めていきたいという今後の目標についても語った。
2026年の桃田賢斗の活動を整理
現在の立場を整理すると、次のようになる。
- 所属: NTT東日本
- 役職: 選手兼コーチ
- 競技活動: 国内大会などで現役活動を継続
- 指導活動: ジュニア世代や子どもたちへの普及・指導
- 代表活動: 2024年4月のトマス杯を最後に日本代表を引退
なお、2026年現在の目の医学的な状態について、新たな詳細を示す公式診断発表は確認できない。現在の競技活動が確認できることと、事故前と同じ視覚状態に戻ったことは分けて考える必要がある。
事故前の世界ランキング1位という実績を持ちながら、現在は選手と指導者の両方の役割を担う。桃田の競技人生は、世界の頂点を目指す段階から、競技を次世代につなぐ段階へと広がっている。
【桃田賢斗の交通事故に関するよくある質問(FAQ)】
Q1:桃田賢斗の事故はいつ起きましたか?
A1:2020年1月13日の早朝です。マレーシアのクアラルンプール近郊で、空港へ向かうワゴン車が大型トラックに追突しました。
Q2:桃田賢斗の事故で運転手は死亡したのですか?
A2:はい。事故車両の運転手は死亡しました。桃田や同乗していたスタッフも負傷し、病院に搬送されています。
Q3:桃田賢斗は事故で右目を失明したのですか?
A3:失明したという事実は確認されていません。事故後に右眼窩底骨折が判明し、シャトルが二重に見える症状が報じられました。2024年には本人が視覚面の不調について語っていますが、失明とは異なります。
Q4:桃田賢斗は事故後、いつ競技に復帰しましたか?
A4:2020年2月29日にチーム練習へ復帰し、同年12月23日の全日本総合選手権で約11か月ぶりに実戦復帰しました。
Q5:桃田賢斗は2024年に引退したのですか?
A5:引退したのは日本代表としての活動です。バドミントン選手としての競技活動は継続しています。
Q6:桃田賢斗は2026年現在、何をしていますか?
A6:NTT東日本の選手兼コーチとして活動しています。現役選手として競技を続けるほか、子どもたちへの指導やバドミントンの普及にも取り組んでいます。
まとめ:桃田賢斗の事故から現在まで、競技人生は新たな段階へ
桃田賢斗の交通事故は、2020年1月13日にマレーシアのクアラルンプール近郊で発生した大型トラックとの衝突事故だった。運転手が死亡し、桃田も顔面の裂傷や全身打撲を負った。その後、右眼窩底骨折が判明して手術を受けることになった。
約11か月後に実戦復帰を果たしたものの、目の見え方や身体の感覚に関する問題は競技生活に影響を与え続けた。2024年には日本代表から退く決断をしたが、バドミントン選手としての活動は終わらせていない。
2026年現在はNTT東日本の選手兼コーチとして、競技と指導の両面でバドミントンに関わっている。
今回の経緯から読み取れるのは、スポーツ選手の復帰を単純に「手術が成功したか」「試合に戻れたか」だけで判断できないということだ。競技に必要な感覚、身体の状態、本人が目指すレベル、そして競技との向き合い方まで含めて考える必要がある。
世界ランキング1位から日本代表引退、そして選手兼コーチへ。桃田賢斗の現在は、事故によって変化した競技人生を、自分なりの形で続けている姿でもある。
主な情報源
- NTT東日本:2020年1月の退院発表、2月の手術発表、2024年の代表引退発表、2026年の選手プロフィール。
- 日本バドミントン協会:事故当時の発表、選手情報。
- 日本オリンピック委員会:2020年12月の実戦復帰報道。
- TBS NEWS DIG:2024年4月の代表引退会見。
- テレビ朝日:事故後の視覚面の不調に関する取材。
- NST新潟総合テレビ:2026年2月の講演・指導活動の報道。