「埴生の宿(はにゅうのやど)」は、明治時代から日本で歌い継がれてきた唱歌です。ゆったりとした美しい旋律と、「埴生の宿もわが宿」という印象的な歌い出しで知られています。原曲はイギリスの作曲家ヘンリー・ローリー・ビショップが手掛けた「Home, Sweet Home」。日本語の訳詞を担当したのは、里見義(さとみただし)です。
1889年(明治22年)12月刊行の『中等唱歌集』に掲載されたこの曲には、単に貧しくても我が家が一番という意味だけではなく、自然に囲まれた暮らしへの愛着や、物質的な豊かさでは測れない心の満足が込められています。ここでは、1番・2番の歌詞とひらがなの読み方、現代語訳を紹介しながら、原曲との違いや成立の歴史、映画『ビルマの竪琴』との関係まで詳しく解説します。
【歌詞全文】埴生の宿の1番・2番とひらがなの読み方

まずは、現在広く歌われている「埴生の宿」の歌詞を紹介します。
日本語の歌詞は、里見義によるもので、春の空や花、鳥を描いた1番と、秋の月や虫を描いた2番から構成されています。
1番の歌詞
埴生(はにゅう)の宿も わが宿
玉の装(よそい) うらやまじ
のどかなりや 春の空
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
たのしとも たのもしや
2番の歌詞
ふみ読む窓も わが窓
瑠璃(るり)の床(ゆか)も うらやまじ
清らなりや 秋の夜半(よわ)
月はあるじ 虫は友
おお わが窓よ
たのしとも たのもしや
ひらがなで読む歌詞
漢字や古語が多く、初めて歌う人には読みづらい部分もあります。歌詞を覚えたい人や、小学校の音楽学習などで使いたい人は、次のひらがな表記を参考にしてください。
1番
はにゅうのやども わがやど
たまのよそい うらやまじ
のどかなりや はるのそら
はなはあるじ とりはとも
おお わがやどよ
たのしとも たのもしや
2番
ふみよむまども わがまど
るりのゆかも うらやまじ
きよらなりや あきのよわ
つきはあるじ むしはとも
おお わがまどよ
たのしとも たのもしや
読み方で間違えやすい言葉
| 歌詞の表記 | 読み方 | 意味 |
|---|---|---|
| 埴生 | はにゅう | 粘土質の土、土でできた家を連想させる言葉 |
| 玉の装い | たまのよそい | 宝石などで飾った豪華な装い |
| 羨まじ | うらやまじ | うらやましくない |
| あるじ | あるじ | 主人、主役となる存在 |
| 瑠璃 | るり | 青色の宝石、ラピスラズリ |
| 床 | ゆか | 家の床 |
| 夜半 | よわ | 夜中、夜更け |
| たのもしや | たのもしや | 心強い、頼りになるという気持ち |
特に注意したいのが、2番の「瑠璃の床」です。
初出の『中等唱歌集』では「床」に振り仮名がありませんが、楽譜の歌詞では「ゆか」とされています。その後の出版物には「とこ」と読むものもあり、歌い方に違いが生まれました。
原典に近い読み方を確認したい場合は、「ゆか」を基準にするとよいでしょう。
【現代語訳と意味】埴生の宿はどんな家を表している?
「埴生の宿」の歌詞が難しく感じられる理由は、現在の日常会話ではあまり使わない古語や、当時の暮らしを反映した表現が多く登場するためです。
しかし、内容を現代語に置き換えると、非常に親しみやすい歌であることがわかります。
1番の現代語訳
土や粘土でできた粗末な我が家でも、ここが私の家である。
宝石で美しく飾られた豪華な家など、少しもうらやましくない。
春の空は穏やかで、花が主人のように咲き、鳥たちが友達のようにそばにいてくれる。
ああ、私の家よ。なんと楽しく、心強い場所なのだろう。
1番に込められた意味
1番で歌われているのは、家の豪華さではなく、そこで過ごす時間の豊かさです。
「玉の装い」は、宝石などで飾り立てた華やかな家や生活を象徴しています。それに対して、歌の主人公は自分の家を決して卑下しません。
家の周りには花が咲き、鳥が訪れる。春の空を眺めながら、自然とともに暮らす日々に満足しているのです。
2番の現代語訳
本を読むこの窓も、私にとって大切な自分の窓である。
瑠璃の宝石を敷き詰めたような豪華な床も、うらやましくない。
秋の夜は清らかで、月が主人のように輝き、虫たちの声が友達のように聞こえる。
ああ、私の窓よ。なんと楽しく、心が満たされる場所なのだろう。
2番に込められた意味
2番では、春から秋へと季節が移り変わります。
1番の花や鳥に代わって、月と虫が登場する点が特徴です。
「瑠璃の床」は、宝石で飾られた立派な建物を象徴する表現です。しかし、主人公にとっては、そんな豪華な床よりも、月明かりの差し込む自分の家の窓のほうが価値があります。
本を読む時間や、秋の夜に虫の声を聞く時間こそが、何ものにも代えがたい幸福なのです。
「埴生の宿」という言葉の本当の意味
曲名の「埴生の宿」は、現代ではあまり耳にしない言葉です。
「埴生」の「埴」は粘土質の土を意味し、「埴生の宿」は土をむき出しにしたような、粗末な住まいを表す古い表現です。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースに掲載された千葉県立中央図書館の調査回答でも、床や畳がなく、粘土の土間がむき出しになったような家として説明されています。
つまり、このタイトルは豪華な邸宅とは正反対の、質素な住まいを意味しているのです。
ここで重要なのは、歌が貧しさそのものを賛美しているわけではないという点です。
経済的な豊かさと心の豊かさを切り離し、身近な自然や暮らしの中に幸福を見つける姿勢が、この歌の中心にあります。
【成立の歴史】原曲Home, Sweet Homeと1889年の中等唱歌集
「埴生の宿」は日本で生まれた旋律ではありません。
19世紀のイギリスで生まれた歌曲に、日本語の歌詞を付けた作品です。
原曲は1823年発表のHome, Sweet Home
英語の詞を書いたのは、アメリカ出身の劇作家・詩人ジョン・ハワード・ペインです。旋律を担当したのは、イギリスの作曲家ヘンリー・ローリー・ビショップでした。
同年5月8日のロンドン、コヴェント・ガーデンでの歌劇初演で披露され、その後、独立した歌曲として世界各地に広まりました。
アメリカのヘンリー・フォード博物館が所蔵する1823年刊行の楽譜資料からも、ペインの詞とビショップの音楽による作品であることが確認できます。
里見義が日本語の歌詞を付けた経緯
日本語の訳詞を担当した里見義は、文政7年(1824年)に生まれ、明治19年(1886年)8月12日に亡くなった人物です。
福岡県の現在のみやこ町にゆかりがあり、1881年に文部省の音楽取調掛に採用されました。
音楽取調掛では、海外の歌曲に日本語の歌詞を付ける仕事に携わり、「庭の千草」などの唱歌でも知られています。
里見義の特徴は、外国語の歌詞を単純に日本語へ置き換えるのではなく、日本語の響きや音楽のリズムに合わせて歌詞を構成したことです。
『埴生の宿』も、原曲の旋律を生かしながら、日本人に親しみやすい自然や四季の描写を取り入れた作品になっています。
1889年『中等唱歌集』への掲載
里見義の訳詞による「埴生の宿」は、1889年(明治22年)12月刊行の東京音楽学校編纂『中等唱歌集』に掲載されました。
同書は、師範学校・中学校・高等女学校などで使用することを想定した唱歌教材です。
神奈川県立図書館の研究紀要によると、全18曲のうち12曲が外国曲でした。当時の日本では、西洋音楽を学校教育に取り入れる動きが進んでおり、海外の旋律に日本語の詞を付けた唱歌が重要な役割を担っていました。
なお、同じ旋律には、1889年6月刊行の『明治唱歌』第3集で大和田建樹が作詞した「千代の聲」という別の日本語歌詞もありました。
したがって、旋律が日本に紹介された時期と、里見義の「埴生の宿」が刊行された時期は区別して理解する必要があります。
【人物・作品の関係一覧】埴生の宿を生んだ関係者と歴史
この曲の成立を理解するには、原曲を作った人物、日本語の詞を付けた人物、そして学校教育へ取り入れた組織の関係を整理するとわかりやすくなります。
| 人物・作品 | 時期・生没年 | 埴生の宿との関係 |
|---|---|---|
| ジョン・ハワード・ペイン | 1791~1852年 | 原曲の英語歌詞を作詞したアメリカ人 |
| ヘンリー・ローリー・ビショップ | 1786~1855年 | 原曲の旋律を作曲したイギリス人 |
| Home, Sweet Home | 1823年 | 歌劇『ミラノの乙女クラリ』の挿入歌として発表 |
| 里見義 | 1824~1886年 | 日本語の訳詞を担当。音楽取調掛で唱歌の作詞に携わった |
| 東京音楽学校 | 1887年改称 | 『中等唱歌集』の編纂・刊行を担った教育機関 |
| 中等唱歌集 | 1889年 | 里見義の「埴生の宿」が掲載された唱歌集 |
この関係からわかるのは、「埴生の宿」が単なる外国歌曲の翻訳作品ではないということです。
原曲の音楽的な魅力を残しながら、里見義が日本の生活感覚や自然観を取り入れ、学校教育を通じて広められた作品なのです。
【原曲との違い】Home Sweet Homeの日本語訳と埴生の宿は同じ意味?
「埴生の宿」は、原曲の「Home, Sweet Home」を日本語にしたものですが、両者の歌詞には重要な違いがあります。
Home, Sweet Homeの日本語訳
原曲の最初の節は、次のような意味です。
「私たちが喜びや宮殿に囲まれた場所を旅することがあっても、どんなに質素な家であろうと、我が家に勝る場所はない。そこには天から与えられたような特別な魅力があり、世界中を探しても同じものは見つからない。」
続く節では、故郷を離れた人が、華やかな暮らしにも満足できず、もう一度、粗末な茅葺きの家や鳥たち、何にも代えがたい心の平穏を取り戻したいと願います。
原曲の中心にあるのは、故郷を遠く離れた人の望郷の念です。
日本語版と英語版の主な違い
南山大学の研究論文「言葉が歌になる時(II):“Home Sweet Home”と『埴生の宿』」では、両者の歌詞の違いが詳しく分析されています。
| 比較項目 | Home, Sweet Home | 埴生の宿 |
|---|---|---|
| 主題 | 故郷への郷愁 | 身近な我が家への愛着 |
| 主人公 | 故郷を離れて旅する人 | 家の暮らしに満足する人 |
| 家の価値 | 家族や母の愛、心の安らぎ | 花鳥風月と四季の自然 |
| 季節の描写 | 故郷の記憶を中心に描く | 春の空と秋の夜を描く |
| 豪華な家への考え方 | 豪華さより故郷を求める | 豪華な家をうらやまない |
| 歌詞の構成 | 複数の節を持つ原曲 | 2節に再構成された日本語詞 |
特に大きな違いは、原曲が「帰りたい」という気持ちを歌うのに対し、日本語版は「今ここにある家の幸せ」を歌っている点です。
原曲の後半には母親や父親への思いも登場しますが、里見義の歌詞では家族の描写が省かれています。
その代わりに、春の花や鳥、秋の月や虫といった、日本の四季を感じさせる自然の情景が加わりました。
この違いは、単なる翻訳の省略ではありません。
外国の歌曲を日本の唱歌として成立させるために、歌詞の視点そのものを組み替えた結果と考えられます。
なぜ里見義は歌詞を変えたのか
明治時代の学校教育では、唱歌は音楽を学ぶだけでなく、道徳的な価値観を伝える教材としても位置付けられていました。
南山大学の研究では、当時の音楽教育の目的を踏まえ、里見義が原曲の望郷の物語を、日本の自然や生活への満足を表す歌に作り替えた可能性を論じています。
この解釈に立つと、「埴生の宿」は西洋音楽と日本の教育思想が交差して生まれた作品として読み直せます。
原曲の旋律をそのまま生かしながら、歌詞の意味を日本の文化や生活に合わせたことが、長く歌い継がれた理由の一つです。
【ビルマの竪琴と楽譜】映画で歌われた理由と原典の確認方法
「埴生の宿」が現在も多くの人に知られている背景には、学校教育だけでなく、映画や文化作品での使用もあります。
映画『ビルマの竪琴』での重要な役割
1956年公開のモノクロ映画は、ヴェネツィア国際映画祭でサン・ジョルジョ賞を受賞し、米アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされました。1985年には、市川監督自身によるカラー版も制作されています。
日活の公式作品紹介によると、劇中では「埴生の宿」が日英両軍の歌詞で歌われています。
戦争という極限状況の中で、敵味方が同じ旋律を共有する演出は、音楽が国境や言語を越える力を持つことを印象付けます。
この映画を通して「埴生の宿」を知った人にとっては、単なる家庭の幸福を歌う唱歌ではなく、故郷への思いや平和への願いを象徴する曲として記憶されていることも少なくありません。
歌詞付き楽譜を確認するなら1889年の原典
「埴生の宿」の楽譜を探している場合は、原典である『中等唱歌集』を確認する方法があります。
国立国会図書館デジタルコレクションには、1889年刊行の『中等唱歌集』が収蔵されています。
初出時の楽譜については、次の特徴が記録されています。
- 調性:変ホ長調
- 拍子:4分の4拍子
- 編成:四部合唱曲
- 歌詞:1番・2番の2節
- 2番の「床」:楽譜では「ゆか」と読む
現在販売・公開されている楽譜には、ピアノ伴奏付きのものや、独唱向けに編曲されたものもあります。
原曲に近い形で歌いたい人は、初出時の合唱譜を参考にすると、後年の編曲との違いも確認できます。
また、2026年に刊行された音楽研究論文でも「Home, Sweet Home」は19世紀イギリスの家庭観や都市生活への郷愁を読み解く題材として取り上げられています。
この作品は、単に懐かしい旋律というだけではなく、時代ごとに人々が考えてきた「家とは何か」というテーマを考える文化的な資料でもあるのです。
【FAQ】埴生の宿の歌詞に関するよくある質問
Q1:埴生の宿の読み方は何ですか?
A1:「はにゅうのやど」と読みます。「埴生」は粘土質の土や、土をむき出しにしたような質素な住まいを表す古い言葉です。
Q2:埴生の宿の歌詞は何番までありますか?
A2:里見義による日本語の歌詞は1番・2番の全2節です。1番は春の空や花、鳥、2番は秋の月や虫を描いています。
Q3:2番の「瑠璃の床」は「ゆか」と「とこ」のどちらが正しいですか?
A3:1889年の初出楽譜では「ゆか」とされています。後年の出版物には「とこ」と読むものもあるため、歌集や楽譜によって違いがあります。
Q4:埴生の宿の訳詞者と作曲者は誰ですか?
A4:日本語の訳詞者は里見義、作曲者はヘンリー・ローリー・ビショップです。原曲の英語詞はジョン・ハワード・ペインが担当しました。
Q5:埴生の宿とビルマの竪琴にはどんな関係がありますか?
A5:市川崑監督の映画『ビルマの竪琴』で重要な歌曲として使用されています。日英両軍がそれぞれの歌詞で歌う演出が、作品の反戦テーマを印象付けています。
【プロの結論】まとめ:埴生の宿が今も歌い継がれる理由
「埴生の宿」は、1823年に発表された「Home, Sweet Home」を原曲とし、里見義が日本語の歌詞を付け、1889年の『中等唱歌集』に掲載した唱歌です。
歌詞は1番・2番の2節で構成され、春の花や鳥、秋の月や虫を通じて、質素な住まいにも豊かな幸福があることを表現しています。
特に理解しておきたいのは、原曲と日本語版の意味が完全に同じではないという点です。
原曲が故郷を離れた人の帰郷への願いを歌うのに対し、里見義の訳詞は、今ある暮らしと自然への愛着を中心に据えています。
歌詞を読む際には、次の3点を意識すると理解が深まります。
1. 言葉の意味を知る: 「埴生」「玉の装い」「瑠璃の床」などの古語を現代語に置き換える。
2. 季節の描写に注目する: 1番の春と2番の秋が、暮らしの豊かさを表現していることを理解する。
3. 原曲との違いを知る: 英語版の望郷の物語と、日本語版の自然を愛する価値観を区別する。
2026年の今、改めて歌詞を読み返すと、「豊かさとは何か」「自分にとって本当に大切な場所とはどこか」という問いが浮かび上がります。
豪華な住まいや物質的な財産だけでは得られない幸福を、短い言葉と美しい旋律で伝えていること。それこそが「埴生の宿」が世代を越えて愛される理由です。
参照資料:国立国会図書館レファレンス協同データベース、みやこ町歴史民俗博物館、神奈川県立図書館、南山大学研究論文、The Henry Ford、Library of Congress、Cambridge University Press、日活公式作品資料。