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闘魂三銃士とは何者か?1988年の結成秘話から名勝負、2026年の現在まで徹底解説

保坂 匠 保坂 匠 • 更新: • 公開: • 読了約 26 分
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闘魂三銃士とは、武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也の3人によって1988年に結成された、新日本プロレスを代表するレスラーたちの呼称である。1990年代には、それぞれ異なる個性と圧倒的な実力でプロレス界をけん引し、IWGPヘビー級王座やG1 CLIMAXを舞台に数々の名勝負を生み出した。とりわけ1991年の第1回G1 CLIMAXでの蝶野と武藤の決勝戦は、新しい時代の幕開けを象徴する一戦として語り継がれている。

2026年現在、武藤は2023年に現役を引退し、蝶野はテレビ出演やイベント、防災・救命活動などで存在感を発揮している。一方、橋本は2005年に40歳で亡くなった。加えて、2004年の新闘魂三銃士、2023年に命名された令和闘魂三銃士も登場し、その名前は世代を超えて受け継がれている。結成の背景から三人の関係、伝説の試合、現在の活動までを整理する。

【結成の経緯と真相】闘魂三銃士はなぜ1988年に誕生したのか

闘魂三銃士

1984年の新日本プロレス入門から始まった三人の関係

闘魂三銃士の歴史を理解するには、1988年の結成だけでなく、1984年にさかのぼる必要がある。

武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也は、いずれも1984年に新日本プロレスへ入門した同世代のレスラーだった。ただし、入門日は完全に同じではない。武藤と蝶野が同日に入門し、橋本はその前日に入門している。

三人は若手時代から競い合い、海外遠征による修行も経験した。日本国内の先輩レスラーが築いてきた序列に挑むためには、技術だけでなく、観客に強烈な印象を残す個性も必要だった。

当時の新日本プロレスは、長州力をはじめとする主力選手の移籍などもあり、次代のスターを育てる必要性が高まっていた。若手の台頭が団体の将来を左右する時期に、三人の存在が大きくなっていったのである。

1988年7月、プエルトリコで三人が結成

闘魂三銃士が結成されたのは1988年7月のプエルトリコ。武藤、蝶野、橋本の三人が海外遠征中にユニットを結成した。

武藤敬司の引退ロード特設ページに掲載された公式ヒストリーでも、1988年を闘魂三銃士の始動年として記録している。同年7月末には有明コロシアム大会に凱旋し、三人が組んで藤波辰巳、木村健悟、越中詩郎の先輩チームと対戦した。

この凱旋試合は、単に若手三人がそろってリングに上がっただけではない。次世代の選手たちが、先輩世代に対して正面から挑戦するという世代交代のアピールでもあった。

つまり、闘魂三銃士は偶然同じ時期に活躍した三人というだけではない。海外修行を経て、同じ時代を切り開く存在として結びついたレスラーたちだった。

三人組の固定タッグではなく、ライバル関係が魅力だった

闘魂三銃士という名称から、三人が常に同じチームとして試合をしていたと考える人もいる。しかし、その本質は固定されたタッグチームとは異なる。

三人はそれぞれ独立したレスラーとして活動し、時には共闘し、時には最高王座や大会優勝を巡って激しく競争した。

武藤の華やかな技術、蝶野の戦略性とカリスマ性、橋本の圧倒的な破壊力。三人の方向性が異なっていたからこそ、同じリングに立ったときに強烈な緊張感が生まれたのである。

闘魂三銃士の「結成の真相」を考えるうえで大切なのは、三人が同じ個性を持った仲間だったのではなく、違う個性を持つライバル同士だったという点だ。

【メンバー徹底解剖】武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也の個性と代表的な実績

闘魂三銃士の魅力は、三人のキャラクターが明確に異なっていたことにある。それぞれが独自のファイトスタイルを確立し、新日本プロレスのメインイベントを支える存在へ成長した。

武藤敬司|天才的な技術と華やかな存在感

武藤敬司は1962年12月23日生まれ、山梨県富士吉田市出身。1984年に新日本プロレスへ入門し、同年10月5日に蝶野正洋を相手にデビューした。

武藤の魅力は、卓越した身体能力と技術、そして観客を引き込む表現力にある。ムーンサルト・プレスやドラゴンスクリュー、足4の字固めなど、多彩な技を駆使し、独特の試合展開を作り上げた。

加えて、武藤を語るうえで欠かせないのがグレート・ムタという別人格だ。1989年にアメリカのマットで登場したムタは、毒霧や独特の不気味なキャラクターで人気を獲得。アメリカのプロレス界でも高い評価を受けた。

1992年にはグレート・ムタとしてIWGPヘビー級王座を初戴冠。1995年には素顔の武藤としても同王座を獲得し、同年のG1 CLIMAXでも初優勝を果たした。

新日本を離れた後も全日本プロレスの社長就任、WRESTLE-1の旗揚げ、プロレスリング・ノアへの参戦など、活動の幅を広げた。2021年にはGHCヘビー級王座を獲得し、主要三団体のシングル最高王座を制覇するグランドスラムを達成している。

そして2023年2月21日、東京ドームで内藤哲也との引退試合を行い、現役生活に終止符を打った。

蝶野正洋|黒のカリスマと勝負強さ

蝶野正洋は1963年9月17日生まれ、東京都三鷹市出身。1984年に新日本プロレスへ入門し、同年10月5日に武藤敬司との試合でデビューした。

蝶野は、試合運びの巧みさと冷静な判断力、そして観客を引き込む存在感が特徴だ。関節技のSTFを代表技とし、リーグ戦や大舞台での勝負強さを発揮した。

1991年の第1回G1 CLIMAXで優勝すると、1992年にも連覇。1994年にも優勝し、G1の象徴的なレスラーとなった。

大きな転換点は1994年。G1優勝後にヒール路線へ転じ、黒を基調とするコスチュームへ変更した。これをきっかけに「黒のカリスマ」としてのイメージが確立されていく。

1996年にはnWo JAPANを結成。アメリカWCWで人気を集めたnWoの日本支部を率い、プロレスの枠を超えたファッションやグッズのムーブメントを生み出した。

1998年8月8日には大阪ドームで藤波辰爾を破り、第22代IWGPヘビー級王者となった。8度目の挑戦でつかんだ悲願の初戴冠だったが、首の負傷により防衛戦を行わないまま王座を返上している。

2010年に新日本プロレスを離れてフリーとなった後も、テレビ、CM、イベント、講演など幅広い分野で活動している。防災やAED救急救命の啓発にも力を注ぐなど、リング外でも独自の存在感を示している。

橋本真也|破壊力で観客を圧倒した破壊王

橋本真也は1965年7月3日生まれ、岐阜県土岐市出身。1984年に新日本プロレスへ入門し、武藤、蝶野とともに闘魂三銃士の一角を担った。

愛称は「破壊王」。重厚な体格から繰り出す蹴り、袈裟斬りチョップ、DDTなど、相手に大きなダメージを与える攻撃が持ち味だった。

三人の中でも橋本は、真正面から相手をねじ伏せるような力強いファイトスタイルで知られた。技の華やかさや試合運びとは異なる、圧倒的な説得力が彼の魅力だった。

1993年9月20日、グレート・ムタを破ってIWGPヘビー級王座を初戴冠。その後も王座戦線の中心で活躍し、1990年代の新日本を代表する選手となった。

1998年には第8回G1 CLIMAXを制覇。新日本を離れた後はZERO-ONEを旗揚げし、独自のプロレス路線を切り開いた。

しかし、2005年7月11日、脳幹出血により40歳で死去した。突然の訃報はプロレス界に大きな衝撃を与え、現在も多くのファンや関係者に記憶されている。

【1991年G1 CLIMAX】蝶野正洋の初優勝が新日本プロレスの黄金期を切り開いた

闘魂三銃士の歴史を語る際、最も重要な出来事の一つが1991年の第1回G1 CLIMAXである。

この大会は、新日本プロレスの夏の看板シリーズとして定着するG1 CLIMAXの出発点となった。参加した8選手が2ブロックに分かれて争い、決勝で蝶野正洋と武藤敬司が対戦した。

決勝戦は蝶野対武藤、勝者は蝶野正洋

1991年のG1 CLIMAX決勝は、当時27歳の蝶野と28歳の武藤による一戦だった。新日本プロレス公式の大会回顧記事によると、二人はともにキャリア6年10カ月。G1の歴史でも特別な意味を持つ、20代同士の決勝戦だった。

試合は蝶野がパワーボムからのエビ固めで武藤を破り、初代優勝者となった。決着までの時間は29分03秒だった。

蝶野は決勝に進むまでに橋本真也も撃破している。つまり、闘魂三銃士の三人が大会の中心に集まり、最終的には蝶野が二人を上回る結果となった。

加えて、優勝後には三人がリングにそろって「1、2、3、ダーッ!」で大会を締めくくった。この光景は、新しい世代の到来を印象づける象徴的な場面として語り継がれている。

蝶野は1992年、1994年にも優勝

蝶野のG1での活躍は1991年だけではない。1992年にはリック・ルードを破って2連覇を達成し、1994年にもパワー・ウォリアーを破って優勝した。

1994年の優勝は、蝶野がヒールとしての個性を確立する重要な転機でもあった。正統派の若手から、観客の反感さえも魅力に変える存在へと変化したのである。

一方、武藤は1995年、橋本との決勝を制して初優勝。橋本も1998年にG1を制覇している。

三人がそれぞれ大会優勝者となったことは、闘魂三銃士が単なる人気ユニットではなく、個々の実力でも頂点に立った選手たちだったことを示している。

G1 CLIMAXが1990年代の新日本を象徴する大会になった理由

G1 CLIMAXの魅力は、IWGPヘビー級王座のように一人の王者を中心とする物語とは違い、複数のトップレスラーが同じ条件で競い合う点にある。

そのため、王者と挑戦者という固定された関係だけでなく、同世代のライバル同士が直接対決する機会が生まれる。

闘魂三銃士は、この大会を通じて三人それぞれの実力と個性を全国のファンに印象づけた。1991年の大会は、新日本プロレスの1990年代を語るうえで欠かせない歴史的な出発点となったのである。

【IWGPヘビー級王座と名勝負】三人が残した伝説の試合を比較

闘魂三銃士の実力を示すもう一つの舞台がIWGPヘビー級王座である。G1 CLIMAXが短期間のリーグ戦を通じて勝負強さを証明する舞台なら、IWGPは団体の頂点に立つ王者としての実力を示す舞台だった。

三人はそれぞれIWGPヘビー級王座を獲得し、互いに挑戦者と王者の立場を入れ替えながら、新日本のメインイベントを盛り上げた。

闘魂三銃士の実績・関係性一覧

人物 代表的な個性・役割 IWGPヘビー級王座の主な転換点 象徴的な実績・試合
武藤敬司 華やかな技術、独創性、グレート・ムタ 1992年にムタとして初戴冠。1995年5月3日に素顔で初戴冠 1995年G1決勝で橋本真也に勝利
蝶野正洋 戦略性、STF、黒のカリスマ 1998年8月8日、藤波辰爾を破って初戴冠 1991年の第1回G1 CLIMAX優勝
橋本真也 重厚な攻撃力、強烈な蹴り、破壊王 1993年9月20日、グレート・ムタを破って初戴冠 1998年G1 CLIMAX優勝、1995年G1決勝進出

※武藤の1992年の初戴冠はグレート・ムタとしてのもの。素顔の武藤敬司として初めてIWGPヘビー級王座を獲得したのは1995年である。プロレスリング・ノアの公式ヒストリーでも、この二つは区別して記録されている。

名勝負1:1991年G1 CLIMAX決勝・蝶野正洋対武藤敬司

最初に挙げたいのは、1991年の第1回G1 CLIMAX決勝である。

蝶野と武藤という同世代の二人が、初代王者の座を懸けて激突した。技術や身体能力だけでなく、若手からトップレスラーへと成長する過程そのものが試合に凝縮されていた。

蝶野が勝利したことで、三銃士の中で最初に大きな勲章を手にしたのは蝶野だった。この結果が、その後の三人の競争関係をさらに面白くした。

名勝負2:1993年9月20日・橋本真也対グレート・ムタ

1993年9月20日の愛知県体育館大会では、橋本真也がグレート・ムタを破り、IWGPヘビー級王座を初戴冠した。

当時、IWGP王者として君臨していたムタに対して、橋本は真正面から挑戦。強烈な蹴りを武器に王者を攻略し、念願の最高王座を獲得した。

この試合は、橋本が単なるパワーファイターではなく、団体の頂点に立つ王者として認められる大きな転換点だった。

名勝負3:1995年5月3日・武藤敬司対橋本真也

1995年5月3日の福岡ドーム大会では、武藤が橋本を破り、第17代IWGPヘビー級王者となった。

すでにグレート・ムタとして同王座を獲得していた武藤にとって、素顔での初戴冠だった。闘魂三銃士のライバル関係が、最高王座の移動という形で表れた一戦である。

名勝負4:1995年G1 CLIMAX決勝・武藤敬司対橋本真也

同年8月15日のG1 CLIMAX決勝では、武藤と橋本が再び激突した。

試合は24分08秒、武藤がムーンサルト・プレスで勝利。IWGPヘビー級王者だった武藤は、王者としてG1も制覇するという快挙を成し遂げた。

5月のIWGP王座戦と8月のG1決勝。わずか数カ月の間に二人が大舞台で続けて対戦したことは、闘魂三銃士時代の競争の激しさを象徴している。

初めて試合を見る人には、三つの視点で選ぶことをおすすめしたい。三銃士の関係性を知るなら1991年G1決勝、橋本の強さを知るなら1993年のIWGP戦、武藤と橋本のライバル関係を味わうなら1995年の二試合が適している。

【新闘魂三銃士・令和闘魂三銃士との違い】後継メンバーは誰なのか

闘魂三銃士という名称は、1990年代だけで終わったわけではない。新日本プロレスでは、次の時代を担う若手選手たちに同様の呼称が与えられてきた。

ただし、初代、新闘魂三銃士、令和闘魂三銃士は、結成の経緯も時代背景も異なる。名前が似ているからといって、同じユニットの継承組織というわけではない。

新闘魂三銃士は棚橋弘至・中邑真輔・柴田勝頼

新闘魂三銃士と呼ばれたのは、棚橋弘至、中邑真輔、柴田勝頼の三人である。

2004年ごろ、同世代で新日本プロレスの将来を担う選手として、この三人が新闘魂三銃士の呼称で語られるようになった。

棚橋は華やかな技と観客を味方につける表現力、中邑は独特のリズムとカリスマ性、柴田はストロングスタイルを前面に押し出したファイトが特徴だった。

ただし、初代の三人のように全員が同じ呼称を積極的に受け入れたわけではない。柴田は新三銃士という枠組みに反発したことも報じられている。

三人はそれぞれ異なる道を歩み、棚橋は新日本のエースとして長年活躍した。中邑は海外へ進出してWWEで活動し、柴田も海外マットへ活動の場を広げた。

なお、棚橋は2026年1月4日の東京ドーム大会でオカダ・カズチカとの引退試合を行い、現役生活を終えている。

令和闘魂三銃士は海野翔太・成田蓮・辻陽太

2023年6月30日、新日本プロレスは海野翔太、成田蓮、辻陽太の三人を「令和闘魂三銃士」と命名すると発表した。

団体が公式に発表した新世代の呼称であり、令和時代を担う選手たちに初代の伝統を重ねたものだった。

それぞれの個性も明確に異なる。

海野翔太:新日本の次世代を担う正統派のスター候補。海外遠征を経て帰国し、団体の中心選手を目指している。

成田蓮:海外修行を経て成長し、2023年12月には海野との関係を一変させてHOUSE OF TORTUREに加入。ヒールとしての個性も強めた。

辻陽太:高い身体能力とスケールの大きなファイトが特徴。2023年の凱旋帰国後、早い段階からIWGP世界ヘビー級王座に挑戦するなど存在感を示した。

ここで注意したいのは、令和闘魂三銃士の正式な命名時のメンバーに上村優也は含まれていないことだ。上村も同世代の有力選手だが、2023年6月に団体が発表した三人は海野、成田、辻である。

三つの闘魂三銃士は何が違うのか

三つの呼称を比較すると、最も大きな違いは、結成時の状況と団体内で期待された役割にある。

初代は1988年の海外遠征中に結成された三人のユニットであり、実際の対戦や競争を通じて時代の中心に成長した。

新闘魂三銃士は、2000年代の新日本を再建していく世代を象徴する呼称だった。一方、令和闘魂三銃士は、2023年に新日本プロレスが公式に命名した次世代の看板候補という性格が強い。

初代の三銃士が歴史的な評価を確立したのは、名前を与えられたからだけではない。三人が最高王座やG1を実際に争い、互いの存在を高め合ったからだ。後継世代も、呼称そのものではなく、リング上でどのような実績を残すかが評価の基準になる。

【2026年現在の闘魂三銃士】武藤敬司・蝶野正洋・橋本真也の現在と評価

2026年11月6日現在、闘魂三銃士の三人は、それぞれ異なる状況にある。現役引退後も活動する武藤、プロレス以外にも活躍の場を広げる蝶野、そして早逝した橋本。三人の歩みを振り返ることは、1990年代のプロレス史を振り返ることでもある。

武藤敬司:2023年に現役引退、2026年もメディアやイベントで活動

武藤敬司は2023年2月21日の東京ドーム大会をもって現役を引退した。

引退後はタレント活動やプロレス関連のイベント、トークショーなどに出演。武藤敬司公式サイトでは、2026年にもトークイベントやプロレス中継のゲスト解説などの出演情報が掲載されている。

また、グレート・ムタというキャラクターも、プロレス史に残る重要な存在として評価されている。2023年にはWWEホール・オブ・フェイムにも殿堂入りした。

現在の武藤はリング上で勝敗を競う立場ではないが、長年の経験を持つレジェンドとして、プロレス界に関わり続けている。

蝶野正洋:黒のカリスマから防災・救命活動の発信者へ

蝶野正洋は2026年現在も、テレビ出演、イベント、講演、メディア活動など幅広い分野で活動している。

蝶野正洋の公式プロフィールには、2026年のテレビ出演やイベント、講演などが掲載されている。プロレス解説者としての活動だけでなく、防災・防犯・AED救急救命の啓発活動にも力を注いでいる。

2014年には一般社団法人NWHスポーツ救命協会を設立。スポーツ選手の知名度を生かし、救命や地域防災の普及に取り組んできた。

2026年も防災関連イベントや講演会などに出演しており、現役時代の「黒のカリスマ」とは異なる形で社会との接点を持っている。

蝶野の現在を考える際には、プロレスラーとしての実績と、引退後も続く社会貢献活動を分けて見ることが大切だ。

橋本真也:2005年の死去後も語り継がれる破壊王の存在感

橋本真也は2005年7月11日、脳幹出血により40歳で亡くなった。

現役生活の晩年には新日本プロレスを離れ、ZERO-ONEを旗揚げするなど独自の道を歩んでいた。新日本の枠にとどまらず、プロレス界全体に影響を与えた選手だった。

橋本の試合を振り返ると、技の一つひとつに重量感があり、観客に強烈な印象を残す。派手な演出に頼らず、攻撃そのものの説得力で試合を成立させるスタイルは、現在も評価されている。

蝶野が公式の社会貢献活動ページで、同期の橋本の死をAED救急救命への取り組みを始めるきっかけの一つとして挙げている点も興味深い。二人の関係は、リング上のライバルという枠を超えていた。

2026年における闘魂三銃士の歴史的評価

2026年現在、闘魂三銃士は1990年代の新日本プロレスを象徴する存在として位置づけられている。

その評価の理由は、単純なタイトル獲得数や人気だけではない。

第一に、三人がそれぞれ違うタイプのスターとして成立していたこと。第二に、同じ時代に活動することで、互いの存在を競争相手として意識し続けたこと。第三に、G1 CLIMAXやIWGPヘビー級王座という団体の重要な舞台で、実際に結果を残したことだ。

加えて、武藤の全日本プロレスへの移籍、蝶野のnWo JAPANによるムーブメント、橋本のZERO-ONE旗揚げなど、三人は新日本を離れた後もプロレス界に影響を与え続けた。

闘魂三銃士の歴史は、単一団体の黄金期だけではなく、日本のプロレスそのものが大きく変化していった時代の記録でもある。

【闘魂三銃士に関するよくある質問(FAQ)】

Q1:闘魂三銃士のメンバーは誰ですか?
A1:武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の三人です。1988年7月に海外遠征先のプエルトリコで結成され、新日本プロレスの1990年代を代表する存在になりました。

Q2:闘魂三銃士を結成したのは何年ですか?
A2:1988年です。三人は1984年に新日本プロレスへ入門し、海外遠征を経て1988年7月にプエルトリコでユニットを結成しました。

Q3:1991年のG1 CLIMAXで優勝したのは誰ですか?
A3:蝶野正洋です。第1回大会の決勝で武藤敬司を破って初代優勝者になりました。決勝までには橋本真也も破っています。

Q4:闘魂三銃士の三人は全員IWGPヘビー級王者になりましたか?
A4:はい。武藤敬司はグレート・ムタとして1992年に初戴冠し、素顔でも1995年に獲得。橋本真也は1993年、蝶野正洋は1998年に初めてIWGPヘビー級王座を獲得しています。

Q5:新闘魂三銃士と令和闘魂三銃士のメンバーは誰ですか?
A5:新闘魂三銃士は棚橋弘至、中邑真輔、柴田勝頼。令和闘魂三銃士は海野翔太、成田蓮、辻陽太です。後者は2023年6月に新日本プロレスが公式に命名しました。

Q6:2026年現在、武藤敬司と蝶野正洋は現役ですか?
A6:武藤敬司は2023年2月21日に現役を引退しています。蝶野正洋はテレビ出演やイベント、講演、防災・救命活動などを中心に活動しています。橋本真也は2005年7月11日に40歳で亡くなっています。

まとめ:闘魂三銃士が1990年代の新日本プロレスに残したもの

闘魂三銃士は、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也という三人の個性がぶつかり合うことで誕生した、新日本プロレスの象徴的な存在だった。

1988年の結成から1991年の第1回G1 CLIMAX、1993年の橋本によるIWGP初戴冠、1995年の武藤と橋本の連続した大一番、そして1990年代後半のnWo JAPANの盛り上がりまで、三人は時代の中心で戦い続けた。

2026年現在、三人が同じリングに立つことはない。しかし、武藤の独創性、蝶野のカリスマ性、橋本の圧倒的な攻撃力は、それぞれ異なる形でプロレス史に刻まれている。

【プロの結論】闘魂三銃士の本当の価値は三人の競争関係にある

闘魂三銃士を理解するうえで、最も重要なのは三人を一つのユニットとしてだけ評価しないことだ。

武藤だけを見れば、天才的な技術と表現力の歴史が見えてくる。蝶野を見れば、ヒールという立場を利用してプロレスの新しい魅力を生み出した過程が分かる。橋本を見れば、技の重さと真っ向勝負の説得力がいかに観客を魅了するかを理解できる。

そして三人の試合を並べて見ることで、それぞれの個性がさらに鮮明になる。

1991年の蝶野対武藤、1993年の橋本対グレート・ムタ、1995年の武藤対橋本。この三つの試合を見れば、闘魂三銃士がなぜ1990年代の新日本プロレスを代表する存在となったのか、その理由が伝わってくる。

新闘魂三銃士や令和闘魂三銃士に受け継がれたのは、単なる三人組という名前ではない。次の時代を担う選手が互いに競い合い、それぞれの個性で団体の未来を切り開くという精神である。

闘魂三銃士の歴史的な価値は、2026年になっても色あせていない。三人が残した試合と競争の記憶は、これからも日本プロレス史を語るうえで欠かせない財産であり続ける。

主な参照資料

- 新日本プロレス公式サイト:G1 CLIMAXの歴史・大会記録
- プロレスリング・ノア公式サイト:武藤敬司引退ロード・公式ヒストリー
- 蝶野正洋オフィシャルサイト:プロフィール・レスラー経歴・社会貢献活動
- 日刊スポーツ:闘魂三銃士の結成経緯、令和闘魂三銃士の命名
- スポーツナビ:1990年代の闘魂三銃士の歴史
- 新日本プロレス公式サイト:2026年1月4日の棚橋弘至引退関連発表

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保坂 匠

連続ドラマと朝ドラの編成・キャスト情報を追うデスク。NHK・民放の公式発表、番組公式サイト、プレスリリースを一次情報として確認し、未発表の情報は記事にしていません。

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