村主章枝さんといえば、ソルトレークシティ五輪5位、トリノ五輪4位という実績を持ち、「氷上のアクトレス」と称された元フィギュアスケート選手です。しかし、現役引退後の2016年、週刊ポストで大胆なグラビアに挑戦したことで、スポーツファン以外からも大きな注目を集めました。
その後、講談社から写真集『月光』を発売し、フルヌードにも挑戦。撮影のきっかけは何だったのか、本人はどのような思いで決断したのか。さらに2026年現在は、アメリカ・テキサス州ダラスを拠点にフィギュアスケートの指導と映画プロデューサーという二つの仕事に取り組んでいます。
【この記事の重要ポイントまとめ】
- 2016年4月、週刊ポストで初のグラビアに挑戦。撮影前には約1カ月間の食事制限とトレーニングを行った。
- 2017年2月、講談社から写真集『月光』を発売。三宅島での撮影では、当初からヌードを目的としていたわけではなかった。
- 2026年2月の報道では、米ダラスで約20人のスケート選手を指導する一方、映画プロデューサーとしても活動している。
【2016年】村主章枝が週刊ポストでグラビアに挑戦した理由

村主章枝さんのグラビア活動が注目されるようになったきっかけは、2016年4月25日発売の『週刊ポスト』への掲載でした。
当時35歳だった村主さんにとって、これが初めての本格的なグラビア撮影。フィギュアスケートの競技生活で培った身体表現を、氷上ではなく写真という別の媒体で披露する挑戦でした。
初グラビアに向けて1カ月間の準備
2016年4月26日付のCYCLEの記事によると、村主さんは撮影前の約1カ月間、食事制限やトレーニングに取り組み、身体を整えて撮影に臨みました。
本人は当時、年齢を重ねた自分の姿について率直な気持ちをブログにつづっています。
特に印象的なのは、今しか残せないかもしれない自分の姿を作品として記録したいという考え方です。
競技者として長年、自分の身体と向き合ってきた村主さんにとって、グラビアは単に露出を増やす仕事ではありませんでした。
長年積み重ねてきた身体づくりや表現力を、異なる形で残す機会でもあったのです。
『今夜くらべてみました』でもグラビア画像が話題に
2016年10月11日放送の日本テレビ系『今夜くらべてみました』では、同年4月に挑戦したグラビア写真がスタジオで紹介されました。
公開された写真には、手ブラやTバック、網タイツなど、大胆なスタイリングも含まれていました。
番組では、フィギュアスケートで鍛えた身体のラインや、普段の競技映像とは異なる雰囲気が話題に。MCの徳井義実さんや指原莉乃さんらも写真に反応しました。
村主さん自身も撮影の苦労を振り返り、ポーズを長時間維持することの大変さを語っています。
この出演によって、フィギュアスケートファンだけでなく、バラエティー番組の視聴者にもグラビア挑戦が知られるようになりました。
【写真集『月光』】フルヌードに挑戦した経緯と本当の理由
2016年のグラビア掲載から約10カ月後、村主章枝さんは初の写真集『月光』を発売しました。
出版元は講談社。撮影を担当したのは写真家のアンディ・チャオさんです。
講談社の公式書誌情報では、同作品は2017年2月16日発売、全96ページのA4変型判写真集として紹介されています。
写真集にはフルヌードのカットも収録され、発売前から大きな話題になりました。
講談社からのオファーが出版のきっかけ
2017年の早稲田ウィークリーのインタビューで、村主さんは写真集が実現した経緯を詳しく説明しています。
最初の週刊誌撮影は「アスリートのヌード」というテーマでした。
その写真を見た講談社の担当者から写真集の制作を提案され、出版の話が具体化していきました。
ただし、最初からフルヌード写真集を作ることが決まっていたわけではありません。
村主さんは、スケートのプログラムを一つの作品として組み立ててきた経験から、写真集にも一貫したテーマとストーリーを持たせたいと考えました。
そこで選んだのが、ベートーヴェンのピアノソナタ第14番「月光」です。
この曲は、2002年のソルトレークシティ五輪で村主さんが使用した思い入れの深いプログラム曲でした。
三宅島での撮影とスーパームーン
撮影が行われたのは2016年11月14日と15日。場所は東京都の三宅島です。
この時期は、68年ぶりと報じられたスーパームーンのタイミングと重なっていました。
村主さんは、月明かりの下で思い入れのあるプログラムを再現するという構想を立てました。
早稲田ウィークリーのインタビューによると、撮影では約3,000〜4,000枚の写真を撮影。衣装を着たカットも、ヌードのカットも含まれていました。
つまり、最初から脱ぐことを目的にした撮影ではなく、動きのある表現を追求する過程でヌード写真も作品に採用されたという経緯です。
グラビア挑戦の理由は振付師としての表現力
2017年1月の日刊スポーツの報道では、村主さんは写真集について、振付師としての表現の幅を広げるための実験という趣旨を説明しています。
これは写真集の意味を理解するうえで要点です。
フィギュアスケートの振付師は、選手の身体の動きや音楽との調和を考え、一つのプログラムを作品として構成します。
村主さんにとって、写真という静止した媒体で自分の身体表現を追求することも、新しい創作体験だったのでしょう。
本人は、これまでスケーターとして見られてきた自分が、違う形の作品になれる可能性を試したかったという思いも語っています。
ヌード写真集という話題性だけでは、出版に至った背景のすべては説明できません。
『月光』には、長年の競技生活で培った表現力を新しい形で残そうとする創作意欲が反映されていました。
【評判と反響】村主章枝のグラビア写真はどう受け止められた?
村主章枝さんのグラビアが注目された理由は、単純に大胆な衣装や露出だけではありません。
オリンピックに出場したトップアスリートが、競技とは異なるジャンルに挑戦したという意外性も大きな要素でした。
初グラビアには容姿や身体の美しさを評価する声
2016年4月のCYCLEの記事では、グラビア掲載後にファンから寄せられた反応として、35歳とは思えない美しさや、ウエストからヒップにかけてのライン、ロングヘアの雰囲気などを評価する声が紹介されています。
特に目を引いたのは、競技中の力強い姿とは異なる、静かな表情やしなやかな身体の見せ方でした。
フィギュアスケートでは、ジャンプやスピンだけでなく、手先の動きや身体全体のラインも演技の印象を左右します。
そうした表現力が写真にも生かされていたことが、グラビアへの関心につながったと考えられます。
写真集発売前から注目を集めた『月光』
2017年2月の写真集発売時には、フルヌードという内容が大きく報道されました。
デイリースポーツは2017年2月、発売前に重版が決定したと報道しています。
また、発売記念会見では村主さん自身も、これほど話題になるとは思っていなかったという趣旨の感想を述べています。
早稲田ウィークリーのインタビューでも、ヌードの反響に驚いたと振り返っています。
評価すべきなのは露出だけではない
グラビアの評判を考える際には、話題性と作品としての評価を分ける必要があります。
『月光』は、三宅島の自然、月明かり、音楽、身体の動きを組み合わせた写真作品です。
村主さんが長年追求してきた「観客に何かを感じてもらう演技」という考え方は、写真集にも通じています。
そのため、グラビア画像を探している読者にとっても、単に露出の程度を比較するだけでなく、撮影の背景や作品全体のテーマを知ることで、写真集の見方は大きく変わるはずです。
【年代別年表】村主章枝のフィギュアスケート経歴とグラビア活動
ここで、村主章枝さんの競技生活からグラビア挑戦、現在の仕事までを時系列で整理します。
| 時期 | 主な出来事 | 内容・意味 |
|---|---|---|
| 1980年12月31日 | 誕生 | 千葉県出身 |
| 2002年 | ソルトレークシティ五輪 | 女子シングル5位入賞。「月光」を使用 |
| 2003年 | GPファイナル優勝 | 日本人初の優勝 |
| 2006年 | トリノ五輪 | 女子シングル4位入賞 |
| 2014年11月 | 現役引退 | 33歳で競技生活に区切りをつける |
| 2016年4月 | 週刊ポスト掲載 | 初グラビアに挑戦 |
| 2016年10月 | 今夜くらべてみました | グラビア写真が番組で紹介される |
| 2016年11月 | 三宅島で撮影 | 写真集『月光』の撮影 |
| 2017年2月 | 『月光』発売 | 講談社から初写真集を刊行 |
| 2017年 | アメリカへ活動拠点を移す | カナダでの活動から米国へ |
| 2019年 | 映画制作を開始 | 映像制作チームと映画の仕事に取り組む |
| 2025年 | 米国で指導・映画制作 | 約20人のスケート選手を指導 |
| 2026年2月 | ダラスでの活動が報道 | コーチと映画プロデューサーを兼任 |
村主さんの経歴を振り返ると、2014年の引退は単なる競技生活の終了ではありませんでした。
2014年11月13日、日本オリンピック委員会(JOC)が紹介した引退会見では、本人は次のオリンピックで37歳になることなどを考慮し、競技生活に区切りをつける決断を説明しています。
引退後は、かねてから目標にしていた振付師としての活動を本格化させました。
グラビアや写真集への挑戦も、こうした競技者から表現者への転換期に位置づけられます。
【2026年最新】村主章枝は現在ダラスで何をしている?
2026年2月13日、スポニチアネックスは、村主章枝さんがフジテレビ系『あの金どこいった?』に出演し、現在の生活と仕事について語ったと報じました。
この報道によると、村主さんはアメリカ・テキサス州のダラスに拠点を移し、フィギュアスケートのコーチとして約20人の生徒を指導しています。
加えて、映画プロデューサーというもう一つの肩書も持っています。
ダラスで約20人を指導するフィギュアスケートコーチ
村主さんは現役引退後、カナダで振付師として活動していました。
その後、ビザの事情などから2017年にアメリカへ移り、ラスベガスを拠点とするようになりました。
2025年2月19日に行われた関東弁護士会連合会のインタビューでは、ラスベガスを拠点にしながら、ダラスやテキサス州オースティン、オハイオなどで約20人を指導していると説明しています。
そして2026年2月のスポニチ報道では、活動拠点をダラスに移したことが紹介されました。
指導者としての村主さんが重視しているのは、技術だけではありません。
関東弁護士会連合会のインタビューでは、若い選手を教える際、挨拶や人の話を聞く姿勢など、基本的な生活態度から指導することもあると話しています。
また、本人の説明によれば、振付師とコーチには役割の違いがあります。
- 振付師:ジャンプやスピンなどの要素をどこに配置するか、音楽と動きをどうつなぐかを考える。
- コーチ:ジャンプやスピンなど、個々の技術の精度を高める。
競技者として長年培ってきた表現力を、次世代の選手に伝えていく仕事です。
2019年から映画プロデューサーとしても活動
もう一つの大きな転身が映画制作です。
関東弁護士会連合会の2025年のインタビューで、村主さんは映画制作を始めた経緯を詳しく語っています。
もともとラスベガスでアイスショーを開催することが長年の夢でした。
ショーの記録映像を制作するために映像チームを集めていたところ、新型コロナウイルスの流行によってショーの開催が難しくなりました。
そこで映像チームから映画制作を提案され、新しい分野に挑戦することになったのです。
2019年から映画制作に取り組み、最初の数年間は短編作品を中心に制作。2023年には長編作品にも取り組んだと説明しています。
制作会社はMonkeY Teer Entertainmentです。
同社の公式サイトでも、Fumie Suguriは共同創設者の一人として紹介されており、映画監督のDevin Teer、編集者のIndia Ongkoらと制作活動を行っています。
2026年には制作作品8本、映画賞の受賞も
2026年2月のスポニチ報道によると、村主さんはこれまでに8本の映画を制作し、そのうち『Son of Sehba』で映画賞も獲得したといいます。
映画制作では、プロデューサーという肩書だけにとどまらず、現場のさまざまな業務を担当していることも明かしました。
出演者の送迎、食事の手配、マイク係など、制作規模の小さい会社ならではの仕事もこなしているそうです。
また、作品によっては特殊メークとボディースーツを着用し、モンスター役を代演した経験もあるとのこと。
スケートとは異なる世界で、現場の仕事を一から経験している点も興味深いところです。
2025年の関東弁護士会連合会のインタビューでは、映画制作において「その映画で何を伝えるのか」という点を重視していると語っています。
これは、観客の心に残る演技を追求してきたスケーター時代の考え方にも通じるものです。
【誤解を整理】村主章枝のグラビアについて知っておきたい3つの事実
村主章枝さんのグラビアに関する検索では、複数の出来事が混同されることがあります。
特に押さえておきたいのは、次の3点です。
1. 週刊ポストのグラビアと写真集『月光』は別の作品
2016年4月の週刊ポスト掲載が、グラビア挑戦の最初の大きなきっかけです。
一方、写真集『月光』は講談社から2017年2月に発売された別の作品です。
撮影時期も異なり、写真集は2016年11月の三宅島で撮影されました。
2. 最初からヌード写真集を作る予定だったわけではない
村主さん本人の早稲田ウィークリーでの説明によると、写真集の企画段階では、最初からヌードを目的にしていたわけではありません。
「月光」というテーマを設定し、動きのある写真を撮影する過程で、ヌードのカットも作品に採用されました。
この点は、本人のインタビューから読み取れる重要な事実です。
3. お金に困っていたから写真集を出したという説明は正確ではない
2016年12月に放送されたテレビ番組では、村主さんの現役引退後の経済状況が紹介され、写真集の出版と金銭問題を結び付ける報道もありました。
しかし、2017年1月の日刊スポーツの取材では、村主さんはお金に困っていたからヌードに挑戦したという見方を否定しています。
本人が語っていたのは、振付師としての表現力を広げることや、新しい作品づくりへの挑戦でした。
話題性のある写真集だったことと、出版を決めた本人の動機は分けて理解する必要があります。
【よくある質問】村主章枝のグラビアに関するFAQ
Q1:村主章枝がグラビアに初挑戦したのはいつですか?
A1:2016年4月です。4月25日発売の週刊ポストにグラビアが掲載されました。撮影前には約1カ月間の食事制限やトレーニングに取り組んでいます。
Q2:村主章枝のヌード写真集『月光』はいつ発売されましたか?
A2:講談社から2017年2月16日に発売されました。撮影は2016年11月、三宅島で行われ、ベートーヴェンの「月光」をテーマにした作品です。
Q3:村主章枝がグラビアに挑戦した理由は何ですか?
A3:新しい表現方法に挑戦し、振付師としての表現の幅を広げたいという思いがありました。また、自分の姿を異なる形の作品として残したいという考えも、初グラビアに挑戦した背景にあります。
Q4:村主章枝は2026年現在、どこに住んでいますか?
A4:2026年2月の報道では、アメリカ・テキサス州ダラスに拠点を移したと紹介されています。フィギュアスケートの指導と映画制作に取り組んでいます。
Q5:村主章枝は現在も振付師として活動していますか?
A5:はい。フィギュアスケートのコーチとして約20人の生徒を指導するほか、振付師としても活動しています。
Q6:村主章枝は映画プロデューサーとして何をしていますか?
A6:2019年から映画制作に携わり、短編作品や長編作品を制作しています。2026年2月の報道では、これまでに8本を制作し、『Son of Sehba』で映画賞を獲得したことも紹介されました。
まとめ:【プロの結論】村主章枝のグラビアは表現者としての新たな出発点
村主章枝さんのグラビア挑戦は、2016年4月の週刊ポスト掲載から始まりました。
その後、講談社から写真集『月光』を刊行。三宅島のスーパームーンを背景に、ソルトレークシティ五輪でも使用した思い入れの深い楽曲をテーマに、身体の動きと写真表現を融合させた作品を完成させました。
挑戦の背景には、振付師としての表現の幅を広げたいという本人の考えがありました。
そして2026年現在、村主さんは米ダラスでのフィギュアスケート指導と映画制作という新しいキャリアを築いています。
注目したいのは、グラビア、振付、映画制作という一見異なる活動に共通するものです。それは、自分の身体や感性を使って、見る人に何かを伝えるという姿勢です。
競技者としてオリンピックの表彰台を目指した時代から、写真作品を生み出す時代、そして映画を制作する現在まで、村主章枝さんは表現者として活動の幅を広げ続けています。
『月光』は単なる大胆な写真集ではなく、その転換点を象徴する作品だったのです。
主な参照資料:講談社の公式書誌情報、早稲田ウィークリーの本人インタビュー、JOCの引退発表、日刊スポーツ、CYCLE、関東弁護士会連合会の2025年インタビュー、スポニチアネックスの2026年2月報道、MonkeY Teer Entertainment公式サイト。