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【死因の真相】かまやつひろしは膵臓がんと闘い、78歳で逝去

桐谷 宗吾 桐谷 宗吾 • 更新: • 公開: • 読了約 15 分
目次

かまやつひろしさんの死因について、2017年3月2日に所属事務所が発表した内容は、膵臓がんによる逝去でした。

訃報を報じたMANTANWEBによると、亡くなったのは2017年3月1日午後6時5分。東京都内の病院で、78歳の生涯を閉じました。

ここで注目したいのが、2016年9月に公表された肝臓がんとの関係です。

実は、2017年3月の逝去後に掲載されたスポーツ紙の報道では、かまやつさんは2015年9月に膵臓がんが見つかり、手術を受けていたことが伝えられています。

つまり、肝臓がんの公表が最初のがんの発見だったわけではありません。

2015年に膵臓がんの手術を受けていた

2017年3月3日付のデイリースポーツやスポニチの報道によると、かまやつさんは2015年9月に膵臓がんと診断され、手術を受けました。

手術後はいったん症状が落ち着いたと報じられています。

しかし、翌2016年5月の検査で肝臓にもがんが見つかりました。

その後、肝臓がんについては手術を行わず、通院や入院を繰り返しながら抗がん剤による治療を受けていたと伝えられています。

この経過を踏まえると、2016年の肝臓がん公表と2017年の膵臓がんによる死去は、別々の出来事ではなく、長期にわたるがんとの闘病の中で起きたことだと理解できます。

【病名の違いを解説】膵臓がんと肝臓がんは何が違う?

かまやつひろし死因

膵臓がんと肝臓がんは、名前が似た病気ではありません。発生する臓器も、臓器の役割も異なります。

膵臓がんとは

膵臓は胃の後ろ側に位置する臓器で、消化を助ける膵液や血糖値を調節するホルモンを分泌しています。

国立がん研究センターの「がん情報サービス」によると、膵臓がんの多くは膵管に発生する腺がんです。

膵臓がんには、次のような特徴があります。

- 初期には自覚症状が現れにくい。
- 周囲の組織やリンパ節に広がることがある。
- 肝臓など、ほかの臓器に転移することがある。
- 病状や進行度によって治療方法が異なる。

特に重要なのは、膵臓がんは肝臓に転移することがあるという点です。

肝臓がんとは

肝臓は腹部の右上にある大きな臓器で、栄養素の代謝や有害物質の解毒、胆汁の生成などを担っています。

国立がん研究センターによると、肝臓に関係するがんは大きく分けて次の2種類があります。

- 原発性肝がん: 肝臓の細胞から発生したがん。
- 転移性肝がん: ほかの臓器に発生したがんが肝臓に転移したもの。

この区別は、かまやつさんの病歴を理解するうえでも大切です。

なぜ膵臓がんと肝臓がんの両方が報道されたのか

2015年に膵臓がんの手術を受けたという報道と、2016年に肝臓がんが見つかったという報道を照合すると、両方の病名が登場した経緯が分かります。

膵臓がんは肝臓に転移しやすい性質を持つため、医学的には肝転移という可能性も考えられます。

ただし、かまやつさんの2016年の肝臓の病変が膵臓がんからの転移だったのか、原発性肝がんだったのかを確定できる詳細な診断資料は、一般に公表された情報からは判断できません。

したがって、両方の病名が報じられた事実と、具体的な病変の医学的分類は分けて考える必要があります。

最終的に死因として所属事務所が発表した病名は、膵臓がんでした。

【闘病生活の時系列】2015年の発症から2017年3月1日まで

かまやつさんの闘病経緯を理解するには、2016年9月の肝臓がん公表だけでなく、その前後の出来事を確認することが欠かせません。

報道各社が伝えた情報を時系列に整理すると、次のようになります。

時期 出来事 報道された内容
2015年9月 膵臓がんが判明 膵臓がんの手術を受けたと後年の報道で伝えられた。
2016年5月 肝臓にもがんが見つかる 検査で肝臓がんが発覚。
2016年7月 喜寿記念コンサート延期 健康上の理由で予定されていた公演を延期。
2016年8月23日 脱水症状で救急搬送 検査入院となり、予定していたライブへの出演を取りやめた。
2016年9月6日 肝臓がんを公表 所属事務所がファクスで病状を発表。
2016年10月31日 退院 その後は通院治療を続けながら療養。
2016年12月8日 堺正章さんの記念ライブに出演 ステージに上がり、スパイダースの楽曲を披露。
2017年1月10日 再入院 体調を崩して再び入院したと報道された。
2017年3月1日 逝去 午後6時5分、東京都内の病院で78歳で亡くなった。
2017年3月2日 死去が公表される 所属事務所が膵臓がんによる死去を発表。

この年表から分かるのは、肝臓がんを公表する前から、すでに長期の治療が続いていたことです。

また、2016年10月末に退院してからも、病気との闘いが終わったわけではありませんでした。

退院後の療養期間にも、通院と仕事を両立させようとしていたことが複数の報道からうかがえます。

【脱水症状で救急搬送】2016年8月23日に何があった?

かまやつさんの病状をめぐって、特に多く検索されているのが2016年8月23日の救急搬送です。

当時77歳だったかまやつさんは、脱水症状を起こして病院に緊急搬送されました。

スポニチの2016年9月7日付報道によると、当時一緒にいた長男が119番通報し、そのまま検査入院となりました。

この出来事を受けて、予定していた泉谷しげるさんとのトーク&ライブへの出演も取りやめになっています。

所属事務所が2016年9月6日に肝臓がんを発表

所属事務所は2016年9月6日、かまやつさんが肝臓がんを患っていることをファクスで公表しました。

5月の検査で病気が見つかり、それ以降は通院しながら治療を続けていたという内容です。

当時、かまやつさんはファクスを通じて次のコメントを発表しています。

「絶対復活するから心配しないでください!」

復帰への意欲を示す言葉として、多くの報道で取り上げられました。

なお、当時のスポニチ報道では、事務所関係者が脱水症状について、がんとは関係ないようだと説明しています。

したがって、救急搬送されたこと自体を直接の死因と結び付けるのは正確ではありません。

脱水症状による搬送は2016年8月の出来事であり、2017年3月の死因として発表されたのは膵臓がんです。

退院後も続いた治療と療養

2016年10月31日には退院しました。

その後は通院治療を続けながら、いとこの森山良子さんの自宅で療養していたと報じられています。

しかし、翌2017年1月10日には再び入院。

約2か月にわたる入院生活の末、3月1日に亡くなりました。

闘病生活の中でもギターを手放さなかったことは、森山良子さんの追悼コメントなどでも伝えられています。

【晩年の活動】ザ・スパイダースからソロ活動まで音楽を愛した人生

かまやつさんの訃報が大きな反響を呼んだ理由は、病気との闘いだけではありません。

長年にわたって日本の音楽シーンに影響を与え続けた存在だったからです。

本名は釜萢弘、ムッシュかまやつとして活動

かまやつひろしさんの本名は、釜萢弘(かまやつ・ひろし)です。

1939年1月12日、東京都に生まれました。

父はジャズシンガーとして知られるティーブ釜萢さん。

幼少期から洋楽に親しみ、青山学院で学びながら音楽活動を始めました。

その後、1960年代前半にグループサウンズの代表的バンド、ザ・スパイダースに加入します。

ザ・スパイダースで生み出した代表曲

ザ・スパイダースでは、ギタリストやボーカリストとして活躍する一方、作曲家としても才能を発揮しました。

代表的な楽曲には、次の作品があります。

- 「フリフリ」
- 「バン・バン・バン」
- 「あの時君は若かった」

堺正章さん、井上順さんらとともにグループサウンズの人気を支えた一人です。

1970年のグループ解散後も音楽活動を続け、ソロ歌手として新たな成功を収めました。

1974年には吉田拓郎さんとの「シンシア」、1975年には「我が良き友よ」がヒット。

グループ活動とソロ活動の双方で代表作を持つ、独自のキャリアを築きました。

晩年も若い世代や仲間との交流を続けた

かまやつさんは、晩年になっても音楽活動への意欲を失っていませんでした。

2016年12月8日には、堺正章さんの70歳記念ライブに登場しています。

このライブは、かまやつさんにとって最後の公の場となりました。

当日は堺さんに呼ばれてステージに上がり、ザ・スパイダースの「サマー・ガール」を一緒に歌いました。

デイリースポーツの2017年3月3日付報道では、左耳の不調を抱えながらも力強い歌声を披露した様子が伝えられています。

また、森山良子さんによると、入院先でもギターを弾きながら歌っていたそうです。

病気によって活動が制限されても、音楽が生活の中心にあったことがうかがえます。

【プロの結論】かまやつひろしの死因をめぐる3つの誤解

かまやつさんの死因を調べると、肝臓がんと膵臓がん、救急搬送など、複数の情報が混在しています。

ここでは、特に間違えやすいポイントを整理します。

誤解1:肝臓がんが死因だった?

2016年9月に所属事務所が公表したのは肝臓がんです。

一方、2017年3月2日の所属事務所の発表で、死因として伝えられたのは膵臓がんでした。

病名が異なるのは、2015年に膵臓がんの手術を受けたという報道があるためです。

誤解2:脱水症状が直接の死因だった?

2016年8月23日の救急搬送は事実ですが、死亡したのはその約6か月後です。

死亡時の病名として公表されたのは膵臓がんであり、脱水症状ではありません。

誤解3:2016年の退院で病気は治っていた?

2016年10月末に退院したことは報じられています。

しかし、退院はがんの完治を意味しません。

退院後も通院治療を続け、2017年1月には再入院しています。

この経過を踏まえると、退院後も闘病が続いていたことが分かります。

情報を見極めるための判断基準

かまやつさんの病歴を調べる際は、次の3点を区別することが大切です。

1. 診断された病名: 2015年の膵臓がん、2016年の肝臓がん。
2. 当時の健康状態: 脱水症状による救急搬送や入退院。
3. 最終的に発表された死因: 膵臓がん。

特に、診断された病名と死亡時に発表された病名は、必ずしも同じ時点の情報ではありません。

また、肝臓の病変が原発性だったのか転移性だったのかという医学的な分類は、一般に公表された情報だけでは確定できません。

この区別こそが、かまやつさんの死因を正しく理解するための要点です。

【かまやつひろしの死因】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:かまやつひろしの死因は何ですか?

A1:膵臓がんです。2017年3月1日午後6時5分、東京都内の病院で78歳で亡くなりました。翌3月2日に所属事務所が発表しました。

Q2:ムッシュかまやつは肝臓がんだったのではありませんか?

A2:2016年5月の検査で肝臓にもがんが見つかり、同年9月6日に所属事務所が公表しました。一方、2017年の訃報では死因は膵臓がんと発表されています。

Q3:かまやつひろしは膵臓がんの手術を受けていたのですか?

A3:2017年3月のデイリースポーツやスポニチの報道によると、2015年9月に膵臓がんが判明し、手術を受けていたとされています。

Q4:かまやつひろしが救急搬送された理由は何ですか?

A4:2016年8月23日に脱水症状を起こしたためです。そのまま検査入院となりました。当時の事務所関係者は、脱水症状はがんとは関係ないようだと説明しています。

Q5:かまやつひろしは何歳で亡くなりましたか?

A5:78歳です。1939年1月12日生まれで、2017年3月1日に亡くなりました。

Q6:かまやつひろしの本名は何ですか?

A6:釜萢弘(かまやつ・ひろし)です。ムッシュかまやつの名前で音楽活動を続けました。

Q7:亡くなる直前まで音楽活動をしていたのですか?

A7:はい。2016年12月8日に堺正章さんの70歳記念ライブに出演し、スパイダースの「サマー・ガール」を披露しました。これが最後の公の場となりました。

まとめ:かまやつひろしの死因と闘病の真相

かまやつひろしさん(ムッシュかまやつ)の死因は、2017年3月1日の膵臓がんによる逝去です。享年78歳でした。

2016年9月に公表された肝臓がんについては、2016年5月の検査で発見されたことが報じられています。また、2017年の訃報後には、2015年9月に膵臓がんの手術を受けていたことも明らかになりました。

脱水症状による救急搬送、退院後の療養、再入院と、病気との闘いは長期にわたりました。

それでも2016年12月には堺正章さんのライブに登場し、最後まで音楽を愛する姿を見せていました。

かまやつさんの人生を振り返ると、ザ・スパイダースでの活躍や「我が良き友よ」のヒットだけでなく、晩年まで音楽を続けようとした姿勢も印象に残ります。

病名として発表された事実と、本人が歩んだ闘病の経緯を分けて理解すること。それが、かまやつひろしさんの最期を正しく知るための鍵です。

主な事実確認資料

- MANTANWEB:2017年3月2日の所属事務所による訃報発表の報道。
- デイリースポーツ:2017年3月3日の膵臓がん手術、肝臓がん発見、闘病経緯の報道。
- スポニチ:2016年9月の肝臓がん公表、救急搬送の報道。
- 日刊スポーツ:2017年3月の闘病経緯に関する報道。
- 国立がん研究センター「がん情報サービス」:膵臓がん・肝臓がんの医学的解説。
- ムッシュかまやつ公式ヒストリー:本名、生年月日、音楽活動の記録。

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