インターネットの検索窓やSNS上で、「ろう者は差別用語にあたるのではないか」「聴覚障害者と呼ぶのが正しいのか」といった疑問や戸惑いの声が後を絶ちません。日常生活やビジネス、行政の場において、配慮のつもりで発した言葉が意図せず相手を困惑させてしまったり、誤解を生んでしまったりするケースは今もなお散見されます。
結論から言えば、「ろう者」という言葉自体は差別用語ではなく、当事者がアイデンティティとして誇りを持って用いる呼称です。一方で、過去に広く用いられていた「聾唖(ろうあ・ろうあ者)」という語の歴史的背景や、医学モデルに基づく「聴覚障害者」との定義の違いが十分に浸透していないことが、不要な誤解を生む原因となっています。当事者の視点や手話言語の変遷を紐解きながら、呼称の実情と正しい向き合い方を整理します。
【真相検証】「ろう者」は差別用語なのか?誤解が生じる背景

「ろう者」という呼び方に対して、一部の聴者(聞こえる人)が「差別的な響きがあるのではないか」「公的な場では『聴覚障害者』と一律に言い換えるべきではないか」と感じてしまう現象が見られます。これは、漢字の「聾(ろう)」という字面が古くから使われてきたことや、後述する「聾唖(ろうあ)」という複合語の印象と混同されていることが大きな要因です。
しかし、当事者コミュニティにおいて「ろう者(Deaf)」は自らの存在を肯定的に捉えるアイデンティティの核です。聞こえないことを単なる「機能の欠損」ではなく、手話という独自の言語を持つ「言語的少数者」として捉える「ろう文化」の文脈において、ろう者という言葉は自称としても他称としても広く用いられています。公的文書や報道の場でも、「ろう者」は正当な呼称として定着しています。
【呼称の比較】「ろう者」「ろうあ者」「聴覚障害者」の決定的な違い
耳の聞こえに関連する呼称には、法律・医療の枠組みによるものと、個人の自己認識やコミュニケーション手段によるものが混在しています。代表的な呼称の特徴と定義の違いを整理したのが以下の対照表です。
| 呼称 | 主な定義・対象者 | 使用言語・コミュニケーション | 社会的位置づけ・現在の実情 |
|---|---|---|---|
| ろう者 | 幼少期から耳が聞こえず、手話を母語・第一言語として生きる人 | 日本手話(独自の文法を持つ自然言語) | 文化的・言語的少数者としての自認。差別用語ではなく当事者の誇りある呼称。 |
| ろうあ者(聾唖者) | 耳が聞こえず発話も困難な人を指す古い医学・福祉用語 | 手話、身振り、筆談など | 団体名に残る(全日本ろうあ連盟など)が、日常語としては「ろう者」へ移行。 |
| 聴覚障害者 | 身体障害者手帳の基準など、医学的に聴力障害が認められる人の総称 | 手話、音声日本語、筆談、要約筆記など多岐 | 行政・法制度・医療で用いられる客観的な包括用語。 |
| 難聴者 | 聴力が低下しているが、残存聴力がある人(軽度〜高度) | 音声日本語、補聴器、人工内耳、筆談 | 聴覚障害の一種。音声言語でのコミュニケーションを主とする人が多い。 |
| 中途失聴者 | 音声言語を獲得した後に病気や事故などで聴力を失った人 | 音声日本語、筆談、要約筆記(手話習得者も一部存在) | 文化的には聴者としての生活背景を持ち、ろう者とは心理的課題が異なる。 |
包括的な分類である「聴覚障害者」は、障害の程度や発症時期に関わらずすべての当事者を指す行政用語です。一方で「ろう者」は、その中でも特に手話を基盤とした生活様式や価値観(ろう文化)を共有する人々を指すことが一般的であり、両者は対立する言葉ではなく、焦点を当てている領域が異なります。
【歴史と理由】「ろうあ者(聾唖)」が現在あまり使われない理由とひらがな表記
かつては一般的な呼称であった「聾唖(ろうあ)」という言葉が、現代の日常会話や公のメディアであまり使われなくなったのには明確な理由が存在します。「聾(ろう)」は聞こえないこと、「唖(あ)」は言葉を話せない(口話ができない)ことを指す文字です。歴史的に、耳が聞こえない人々は「話す能力も知性も持たない」という根強い偏見に晒されてきた経緯があります。
教育の歴史において、手話を禁止し、無理に声を出させる口話教育が強制された時代がありました。その抑圧の歴史の中で、「唖」という字は侮蔑的な意味合いを帯びて使われてきた過去があります。当事者は手話という高度で豊かな言語体系を持っており、「言葉を話せない存在ではない」という事実の普及に伴い、発話障害を一方的に決めつける「唖」を切り離し、単に「ろう者」と呼ぶ動きが主流となりました。
また、歴史ある当事者団体である「全日本ろうあ連盟」などの名称には今も残っていますが、公式文書や出版物では差別的なニュアンスを避ける配慮や常用漢字外の難読漢字である点を考慮し、「ろうあ」とひらがなで表記されることが一般的です。連盟自体も「ろう者」という呼称を積極的に用いるなど、時代の要請とともに運用の変化が進んでいます。
【手話言語の変化】当事者視点で見る差別的表現の淘汰とアップデート
社会における言葉のアップデートと同様に、手話表現そのものも時代とともに大きく変化しています。ろう文化の研究や人権意識の高まりによって、かつて慣習的に使われていた差別的・偏見的な手話単語の見直しが進められてきました。
例えば、過去の手話表現には、外見の特徴や疾患、特定の出自、性別、セクシュアリティ(LGBTQ)に対して、直接的かつグロテスクに揶揄するような身振りがそのまま単語として残っていた歴史があります。これらは当事者間の日常的なやり取りの中で長年使われてきた側面もありますが、基本的人権の尊重やダイバーシティの観点から、よりニュートラルで敬意を持った新しい手話表現へと置き換えが進んでいます。
言葉が社会の価値観を映し出す鏡であるのと同様に、手話もまた生きている自然言語であり、人権意識の向上とともに絶えず自浄作用を働かせながら進化を続けています。
【現場の実情】「耳の不自由な人」の言い換えと正しい向き合い方
日常の会話や業務案内などで見かける「耳の不自由な方」「お耳の遠い方」といった表現は、聴者側が角を立てないように配慮した言い回しとして定着しています。しかし、当事者側からは「不自由という言葉に過剰な哀れみを感じる」「ストレートに『聞こえない人』あるいは『ろう者』と呼んでほしい」という意見も少なくありません。
大切なのは、特定の単語を機械的にタブー視することではなく、目の前の人がどのようなコミュニケーション手段を必要としているかに目を向けることです。手話を母語とする「ろう者」なのか、音声と文字による情報保障を求める「難聴者」「中途失聴者」なのかによって、必要とされる配慮は180度異なります。一括りに「耳が不自由な人」と捉えるのではなく、本人のアイデンティティや希望する伝達手段に耳を傾ける姿勢こそが実質的なバリアフリーにつながります。
【ろう者差別用語】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:「ろう者」と呼ぶのは失礼にあたりますか?
A1:失礼にはあたりません。手話を第一言語とする当事者の多くは「ろう者」という呼び方に愛着と誇りを持っており、むしろ「聴覚障害者」という医学的な枠組みよりも自然な呼称として受け止めています。
Q2:「つんぼ」や「おし」という言葉はなぜ差別用語なのですか?
A2:これらは歴史的に聞こえない人や話せない人を身体的・人格的に見下し、排除するために使われてきた明確な差別語・蔑称です。放送禁止用語にも指定されており、現代社会で使用することは固く禁じられています。
Q3:ビジネスや接客の場ではどのように呼ぶのが適切ですか?
A3:全体への案内や書面では「耳の聞こえない方・聞こえにくい方」や「聴覚障害をお持ちの方」と表記するのが無難です。個別のやり取りでは、手話通訳が必要か、筆談や要約筆記が適しているかなど、必要な情報保障の形式を確認することが何より確実です。
まとめ:言葉の表面的なタブー視を超えて
言葉の正しさをめぐる議論では、表面的な単語の言い換えだけに終始してしまう落とし穴があります。「ろう者」を無用に差別用語扱いして遠ざけるのも、「ろうあ」の歴史的背景を知らずに不用意に使うのも、本質的な相互理解からは遠ざかる行為です。
聞こえない世界には、独自の豊かな言語と文化が存在します。呼称の背景にある歴史と当事者の矜持を正しく知ることは、単なるマナーの遵守にとどまらず、多様な人々が共生する社会の解像度を一段深める重要な一歩となります。