2026年現在、KAT-TUNはすでにグループとしての活動を終了しています。2001年に6人で結成され、2006年に「Real Face」でCDデビューしたKAT-TUNは、赤西仁、田中聖、田口淳之介の3人が相次いで脱退し、最終的に亀梨和也、上田竜也、中丸雄一の3人体制へ移行しました。そして2025年3月31日、結成から25年にわたる歴史に幕を下ろしました。
では、3人はなぜKAT-TUNを離れたのでしょうか。赤西仁は方向性の違いとソロ活動、田中聖は事務所が公表した度重なるルール違反、田口淳之介は人生の歩み方や芸能活動に対する考え方を理由に挙げています。ただし、3人の脱退は経緯も発表内容も大きく異なります。
加えて、2025年の解散についても、単純に亀梨和也の退所だけが原因だったわけではありません。STARTO ENTERTAINMENTの公式発表と当時の報道、メンバー本人の発言をたどると、それぞれの決断の違いとグループの変遷が見えてきます。
【結論】KAT-TUNの脱退理由は3人それぞれ違っていた

KAT-TUNから脱退した赤西仁、田中聖、田口淳之介の3人には、共通する一つの脱退理由があったわけではありません。
それぞれの公式説明を整理すると、赤西は音楽活動の方向性、田中は所属事務所との契約上の問題、田口は自分自身の人生設計と活動方針が大きなポイントになります。
特に重要なのは、3人の脱退がすべて本人の希望による自主的な退所だったわけではないことです。
- 赤西仁:本人がソロ活動への専念を表明し、グループを離れた。
- 田中聖:事務所が契約解除を発表。理由は度重なるルール違反行為と説明された。
- 田口淳之介:本人と事務所が再契約を行わないことで合意し、退所した。
この違いを理解すると、ネット上で見かける「メンバー同士の不仲が原因で次々と脱退した」という説明が、必ずしも正確ではないことが分かります。
【2010年】赤西仁のKAT-TUN脱退理由は方向性の違いとソロ活動
2006年の活動休止と2007年の復帰
赤西仁はKAT-TUNの結成当初からのメンバーであり、グループの中心的な存在の一人でした。
2006年10月、赤西は語学留学のため芸能活動を無期限休止すると発表。アメリカ・ロサンゼルスへ渡り、一時的にグループを離れました。
その後、2007年4月に帰国し、KAT-TUNへ復帰しています。
しかし、2010年には再びグループ活動から離れることになりました。
2010年7月20日に脱退を正式表明
2010年7月20日、赤西は公式サイトを更新し、ソロ活動をしていくことを発表しました。
翌21日の日刊スポーツなどの報道では、本人が脱退理由について次のように説明したことが伝えられています。
「強いて言えば方向性の違いでしょうか」
赤西は、メンバーが嫌いになったわけでも、人間関係のもつれが原因でもないと説明しました。
この発言は、当時広がっていたメンバー不仲説に対する本人からの回答としても注目されました。
また、脱退に際してメンバーへの謝罪と感謝を伝え、ファンにも混乱を招いたことを詫びています。
赤西仁が選んだソロ活動とは?
赤西の脱退を理解するうえで欠かせないのが、海外を視野に入れた音楽活動です。
脱退発表時、赤西はアメリカでの活動やロサンゼルス公演に触れ、歌、芝居、ダンスを続けていく意向を示しました。
加えて、アメリカだけでなく、アジアやヨーロッパなど幅広い地域で活動したいという考えも明かしています。
つまり、赤西の脱退は、単にグループを辞めるという話ではなく、自分の音楽活動の方向性を独立させる決断でもありました。
赤西仁の脱退理由についてのポイントは、本人が方向性の違いとソロ活動への意欲を説明していることです。メンバーとの不仲を公式な脱退理由として認めた事実はありません。
【2013年】田中聖の脱退理由は事務所のルール違反による契約解除
2013年9月30日付で専属契約を解除
田中聖のケースは、赤西仁とは大きく異なります。
2013年10月9日、ジャニーズ事務所は田中聖との専属契約を9月30日付で解除したと発表しました。
発表された理由は、次のとおりです。
「度重なる事務所のルール違反行為があったことから」
これは事務所側が公表した正式な説明です。
田中本人も事務所の発表を受け入れるコメントを出し、メンバーへの感謝と謝罪を伝えました。
事務所は同時に、KAT-TUNが今後4人で活動を続けることも発表しています。
当時の報道で取り上げられた問題とは?
契約解除をめぐっては、当時のスポーツ紙などで、飲食店経営や事務所を通さない音楽活動などが問題視された可能性が報じられました。
一方、事務所の公式発表は「度重なる事務所のルール違反行為」という表現にとどまっています。
個々の行為について、事務所が詳細な説明を公表したわけではありません。
したがって、当時の報道で取り上げられた個別の問題と、事務所が正式に発表した契約解除理由は区別する必要があります。
田中聖本人と残ったメンバーのコメント
田中は事務所を通じて、これまでメンバーに迷惑をかけてきたことへの謝罪と、仲間として支えてくれたことへの感謝を伝えました。
一方、残るメンバーも連名でコメントを発表しています。
彼らはグループとしての意識を高めるために何度も話し合いを重ねてきたことを明かし、田中の契約解除を残念に思う気持ちを表しました。
この出来事によって、KAT-TUNは6人から4人へと人数を減らすことになりました。
赤西のように本人がソロ活動を選択したケースとは違い、田中の場合は所属事務所による契約解除が脱退の直接的な契機となっています。
【2016年】田口淳之介の脱退理由は人生の選択と方向性の違い
2015年11月24日の生放送で突然発表
田口淳之介の脱退発表は、2015年11月24日に放送された日本テレビ系音楽番組「ベストアーティスト2015」の生放送中に行われました。
田口は番組内で、2016年春にKAT-TUNを離れ、ジャニーズ事務所を退所することを報告しました。
当時、KAT-TUNは翌2016年にCDデビュー10周年を迎える予定でした。
その節目を目前にした発表だったことから、ファンや関係者に大きな衝撃を与えました。
本人が説明した脱退理由
田口は公式コメントで「一身上の都合」により事務所との契約を終了することを説明しました。
また、生放送では、30歳を目前にして今後の人生の歩み方を考え、自分の道を選択したという趣旨の説明をしています。
ただし、発表当初は具体的な事情や退所後の活動方針について、十分な説明がありませんでした。
そのため、当時はファンの間でも脱退の背景をめぐる疑問が残りました。
中丸雄一と上田竜也が明かした当時の状況
2015年11月29日、中丸雄一は日本テレビ系「シューイチ」で田口の脱退についてコメントしました。
中丸によると、メンバー同士では約半年間にわたって話し合いを続けていたものの、田口の意思は固く、4人で活動するという形には至らなかったとのことです。
また、脱退理由や今後のビジョンが不透明であることについて、ファンに説明してほしいという思いも語りました。
上田竜也も、田口が同じ方向を向いて進めないという話をしたことや、何度も説得を試みたことを明かしています。
こうしたメンバーの発言から、田口の脱退は突然決まったものというより、一定期間の話し合いを経た末の決断だったことが分かります。
後年、田口本人が語った方向性の違い
2018年、田口はテレビ番組への出演時に、KAT-TUNを離れた理由について方向性の違いだったと説明しています。
また、2024年のABEMA TIMESの番組関連記事でも、元メンバーとの関係について、仲が悪かったわけではないと本人が語ったことが紹介されました。
つまり、田口の脱退をメンバー間の不仲だけで説明することはできません。
本人の人生設計や活動方針と、グループとして目指す方向との間に違いが生まれたことが、脱退を考えるうえで重要な要素です。
【歴代メンバーと年表】KAT-TUNは6人から3人体制へどう変わった?
KAT-TUNは2001年4月に6人で結成されました。
グループ名は、当初のメンバー6人の名字の頭文字に由来しています。
| 時期 | メンバー・出来事 | 経緯・確認できる事実 |
|---|---|---|
| 2001年4月 | 6人で結成 | 亀梨和也、赤西仁、田口淳之介、田中聖、上田竜也、中丸雄一 |
| 2006年3月 | CDデビュー | 「Real Face」でメジャーデビュー |
| 2006年10月 | 赤西仁が活動休止 | 語学留学のため芸能活動を休止 |
| 2007年4月 | 赤西仁が復帰 | グループ活動に復帰 |
| 2010年7月 | 赤西仁が脱退 | ソロ活動への専念と方向性の違い |
| 2013年9月 | 田中聖が脱退 | 9月30日付で専属契約解除 |
| 2015年11月 | 田口淳之介が脱退発表 | 2016年春の退所を発表 |
| 2016年4月 | 3人体制へ | 亀梨・上田・中丸の3人で活動 |
| 2016年5月 | 充電期間へ | 10周年ドーム公演後にグループ活動を休止 |
| 2018年1月 | 再始動 | 3人でグループ活動を再開 |
| 2021年12月 | 紅白歌合戦初出場 | NHK紅白歌合戦に初出場 |
| 2025年2月 | 解散発表 | STARTO ENTERTAINMENTが3月31日の解散を発表 |
| 2025年3月31日 | 解散 | 25年間のグループ活動に終止符 |
| 2025年11月8日 | ラストライブ | 千葉・ZOZOマリンスタジアムで「Break the KAT-TUN」開催 |
| 2026年3月22日 | 全楽曲配信開始 | 全シングル・アルバムの音楽配信がスタート |
この年表から分かるように、KAT-TUNは赤西の脱退後も5人、田中の脱退後は4人、田口の脱退後は3人という形で活動を継続しました。
特に2016年は大きな転換点です。
3人体制になった後のKAT-TUN
田口の脱退によって、KAT-TUNは亀梨和也、上田竜也、中丸雄一の3人になりました。
2016年4月から5月にかけて、3人はデビュー10周年を記念したドームツアーを実施しました。
しかし、同年5月1日の東京ドーム公演を最後に充電期間へ入ることが発表されます。
当時、亀梨は解散ではなく、将来のKAT-TUNのための時間を設けるという趣旨を説明していました。
そして2018年1月1日、KAT-TUNは再始動を発表。3人の新しい形で活動を続けることになりました。
2021年にはNHK紅白歌合戦にも初出場し、6人体制で始まったグループが3人でも大きな実績を残したことを示しました。
【2025年解散の真相】STARTO ENTERTAINMENTが発表した理由と2026年の現在
2025年2月12日に解散を正式発表
2025年2月12日、STARTO ENTERTAINMENTは公式サイトでKAT-TUNの解散を発表しました。
解散日は2025年3月31日です。
公式発表によると、KAT-TUNは2024年4月に同社と契約して活動を継続していましたが、その後およそ1年間にわたりメンバーと協議を重ねてきました。
その結果、2025年4月1日から始まる2年目の契約では、グループ名を残すのではなく、それぞれの道を選ぶ方がメンバーにとってより良いと会社として判断したと説明されています。
公式発表の重要な部分は次のとおりです。
「KAT-TUNの看板を下ろし、それぞれの道を選ぶ形の方が今後のメンバーにとってより良い」
この説明から分かるのは、2025年の解散が単なるメンバー1人の退所によって即座に決まったものではないということです。
日刊スポーツの当時の報道でも、亀梨の退所決断だけが解散の直接的な原因ではなく、メンバー間や事務所との話し合いを経た総合的な判断だったと伝えられています。
解散後の3人はどうなった?
解散発表では、3人の契約についても明確に説明されました。
- 亀梨和也:2025年3月31日の契約満了をもってSTARTO ENTERTAINMENTを退所。
- 上田竜也:グループ解散後も個人としてSTARTO ENTERTAINMENTとの契約を継続。
- 中丸雄一:グループ解散後も個人としてSTARTO ENTERTAINMENTとの契約を継続。
つまり、KAT-TUNの解散は3人全員の芸能活動終了を意味するものではありません。
グループという看板を下ろし、個人としてそれぞれの活動を続ける形になりました。
2025年11月「Break the KAT-TUN」でラストライブを開催
2025年3月31日に解散したKAT-TUNですが、その後、ファンと直接会う機会が設けられました。
2025年11月8日、千葉県のZOZOマリンスタジアムで開催されたのが、ラストライブ「Break the KAT-TUN」です。
日刊スポーツの報道によると、3人はデビュー曲「Real Face」やジュニア時代の楽曲「ハルカナ約束」など、全51曲を披露しました。
正式な解散から約7か月後に実現したこの公演は、グループの25年間を振り返る特別なステージとなりました。
これは解散の撤回やグループの再結成を意味するものではなく、ファンに向けた最後のライブとして位置づけられています。
2026年のKAT-TUNは?全楽曲の配信も解禁
2026年3月22日には、KAT-TUNのデビュー20周年を記念して、Storm Labelsから全楽曲の音楽配信開始が発表されました。
配信対象は、2006年のデビュー曲「Real Face」から2023年のアルバム「Fantasia」まで。
公式発表では、全シングル29作品、全アルバム13作品が各種音楽配信サービスで聴けるようになったと案内されています。
加えて、過去のライブ18公演分のセットリストをもとにした公式プレイリストも公開されました。
2026年11月現在、KAT-TUNというグループはすでに解散していますが、亀梨は個人の公式サイト、上田と中丸はSTARTO ENTERTAINMENTの個人アーティストページを通じて、それぞれの活動情報が案内されています。
グループとしての活動は終了しても、音楽やライブ映像、個々の芸能活動を通じてKAT-TUNの歴史は受け継がれています。
【誤解を解消】KAT-TUNの脱退と解散は何が違う?噂と事実を比較
KAT-TUNの歴史を調べる際に混同されやすいのが、「脱退」と「解散」の違いです。
この2つは、グループの活動における意味が異なります。
脱退とは、メンバー個人がグループから離れることです。グループ自体は残ったメンバーによって活動を継続できます。
一方、解散とは、グループそのものの活動を終了することです。
KAT-TUNの場合、赤西、田中、田口の3人が離れた後も、残った3人で活動を続けていました。
2016年の充電期間も解散ではなく、活動を一時的に休止するためのものでした。
そして2025年3月31日に、初めてグループ自体が正式に解散しました。
よくある誤解と実際の経緯
- 誤解:赤西仁はメンバーとの不仲で脱退した。
事実:本人は方向性の違いを挙げ、不仲や人間関係のもつれを否定している。 - 誤解:田中聖は本人の希望で円満退所した。
事実:事務所が専属契約を解除したと発表している。 - 誤解:田口淳之介の脱退理由は不仲だった。
事実:本人は後年、方向性の違いと説明し、仲が悪かったわけではないと語っている。 - 誤解:2016年にKAT-TUNは解散していた。
事実:3人での活動を続け、2018年に再始動している。 - 誤解:2025年の解散は亀梨和也の退所だけが原因だった。
事実:公式発表では約1年間の協議を経た判断と説明されている。
こうして整理すると、脱退、充電期間、再始動、解散は、それぞれ別の出来事であることが分かります。
【KAT-TUNの脱退理由】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:KAT-TUNを最初に脱退したメンバーは誰ですか?
A1:最初に脱退したのは赤西仁です。2010年7月にソロ活動を理由として脱退を正式表明しました。
Q2:KAT-TUNが3人体制になったのはいつですか?
A2:田口淳之介が2016年春に脱退・退所した後、亀梨和也、上田竜也、中丸雄一の3人体制になりました。同年5月から充電期間に入り、2018年1月に再始動しています。
Q3:KAT-TUNはなぜ解散したのですか?
A3:2025年2月12日のSTARTO ENTERTAINMENTの発表によると、約1年間にわたってメンバーと協議した結果、グループの看板を下ろし、それぞれの道を選ぶ方が今後のメンバーにとって良いと判断されました。2025年3月31日に正式に解散しています。
まとめ:KAT-TUNの脱退理由と25年間の歴史から分かること
KAT-TUNの歴代メンバー3人の脱退理由は、それぞれ異なります。
赤西仁は音楽活動の方向性の違いを理由にソロ活動を選択。田中聖は度重なる事務所のルール違反を理由に専属契約を解除されました。田口淳之介は人生の歩み方や活動方針を考え、グループと事務所を離れる決断をしました。
その後、亀梨和也、上田竜也、中丸雄一の3人は充電期間を経て再始動し、2025年までグループ活動を継続しました。
2025年3月31日の解散は、約1年間の話し合いを経たうえで、それぞれの道を選ぶための決断でした。
そして2025年11月のラストライブ、2026年3月の全楽曲配信解禁へと続いています。
KAT-TUNの25年間を振り返ると、メンバーの脱退は決して同じ理由で起きたものではなく、その都度、グループの形を変える大きな転換点になっていたことが分かります。
6人で始まったKAT-TUNが3人で再始動し、最後まで自分たちの名前を背負って活動した歴史は、解散後も楽曲や映像を通じてファンの記憶に残り続けています。
主な確認資料
- STARTO ENTERTAINMENT公式「KAT-TUNに関するご報告」
- Storm Labels公式「KAT-TUN全曲音楽配信開始」
- 日刊スポーツ(2010年・2013年・2015年・2025年の関連記事)
- オリコンニュース(2016年の充電期間発表)
- ABEMA TIMES(田口淳之介の後年の発言)